伊藤忠であったおかげ
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少なくとも当時の伊藤忠は、会社の欠点や弱点を喧々諤々する自由な気風がみなぎっていました。会話しながらまず次の4人の顔が頭をよぎりました。 入社試験時の最終面接者の二階堂源六常務。私は肺浸潤に侵されていましたが、採用を決めてもらえた。お陰で、残業なしの独身寮生活と、週末は京都に帰って自己制御しながら体を鍛えられる庭仕仕事に打ち込めました。 配属された部門の責任者であった高橋弥彌室長。階級に関わらずに自由に発言しあう意義や階級を飛び越えて自由に発言する勇気を授けてもらえました。 青木憲三室長。海外渡航条件をすべて欠いていた私を、入社4年目にして海外出張できるように身を張ってもらえた。また、引け際や切り上げ方の見事さも学ばされました。 その出張報告を直に聞いてもらえた藤田藤日本の優秀で安い人件費を活かした生地などの素材の輸出志向でしたが、日本の市場を育成する製品志向への大転換を決め、それを軌道に載せるために、後に子会社の設立を許してもらえた。 この他にも、同輩の親友を始め、多くの人に触れることが出来ました。もちろん、この逆の人もいて、その人たちにも大いに勉強させてもらえました。 |