時のうつろい
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4年前に記した短い原稿の見出しは「1つの地球で済ませたい」です。中国雲南省の少数民族村を2年続けて訪ねていますが、その時の印象記です。 中国は、貧富格差に悩んでいました。都市の急激なアメリカ化によるバブル的成長と、停滞する農村との格差です。その埋め合わせ策の1つとして、農村の観光資源化を進めていました。農村に、国内外から観光客を呼びこむ努力をして勝手に儲けろ、と言わんばかりの政策です。目指すところは消費社会の促進、と見ました。ですから、私の目には、国の破綻だけでなく、世界の破綻を進めているようなもの、と映ったのです。 世界中の人が、アメリカ人なみの生活をするには、地球が5つも必要になる、と計算されています。そのアメリカに近づくことが、未だに繁栄だと思っている人がいるわけです 当時、世界には7億台の車がありましたが、その1割が日本にあるなど、世界人口の2割を占めるに過ぎない先進工業国の11億人がその過半を用いていました。13億人の中国が日本並みに持てば、もう7億台増えることになります。大問題です。 にもかかわらず、その後、アメリカ、日本、EU、あるいは韓国などの自動車メーカーは中国市場の奪い合いに躍起になっています。中国も国産化を急いでいます。問題は車に限りません。世界の食料問題が逼迫しています。気候変動による減産のせいもありますが、中国の肉食化の方がもっと深刻です。いずれも原因は人為的です。 近年、中国は急激な軍備増強を図っています。これは当然の帰結でしょう。国内情勢の不安定化や、そこに浸け込む内政干渉への恐怖は増すばかりでしょう。悪循環の火種です。 このような状況のもとで、中国が農家に、とりわけ農業を基盤にして生きてきた少数民族に展開させつつあった観光政策を目の当たりにしました。そこで、1つの提案をさせてもらったわけです。 この政策に乗る農家の人々を、とりわけ先進工業国からの外国人観光客に媚びたり憧れたりする立場に追い込んではいけない、との願いです。そうではなくて、啓蒙の観光にすべきだ、との提案です。短絡に言えば、20世紀は「ディズニーランド」を作ったが、21世紀は「世界中の人が真似たら環境問題が解消するような(つまり、1つの地球で済まさせられるような)テーマパーク」にしてほしい、との提案です。 雲南省で訪れた少数民族は、限られた生活空間に隠れ棲んでいる間に、独特の個性的な文化を築きあげていました。振り返ってみれば、こうした人々を創作テーマにして妻は人形を創っていました。要は、雲南省で訪れた少数民族は、限られた生活空間で、創造能力をフル活用し、持続性のある生き方や自己完結する能力を身につけていたわけです。いわば、1つの地球で済ませる生き方をしていたわけです。わが国の江戸時代も同様であったと見てよいでしょう。その生き方に、先進工業国はヒントを得て、1つの地球で済ませながら、もっと豊で幸せないなる道を切ら開かなければいけない、と思います。決して難しいことではありません。 前週末に受けた取材は、「京都民報」という共産党系の新聞でした。私は不偏不党です。望ましき報道テーマに寄与できるか否かだけが関心事です。ですから応じて、東日本大震災を、日本再生の絶好の機会と位置づけたいものだ、と訴えました。 その想いは,「はなの村だより」読者の市場意見交換2011,6,3にも載せてもらっています。「はなの村だより」とは、二宮尊徳を私淑する人たちの集いである報徳会の「学園花の村機関誌」の特集号です。 要は、中国に「1つの地球で済ませる生き方」を編み出すように迫ることも大切ですが、日本がそのモデルとなることがもっと大事だと言いたいのです。さもなければ潰し合いに参入し、勝たなければなりません。アメリカをしのぐ近代兵器を備えるか、中国をしのぐ兵員を抱えるか、あるいは強い国の腰巾着になるか、のいずれかが求められます。 「武士は食わねど高楊枝」の道があるはずです。 |