企業研修
 

 私は幸せなことに、28年間のサラリーマン生活での責任範囲内や、3年間の学長期間を通して、常に増収増益や入学者増加を経験しています。その幸運を振り返ってみますと、心がけていた2つの共通点があります。

 1つは、仲間が助け合うように配慮したこと。決して内輪で悪者を作るなどして、対立や反目的な競争などをさせないようにしたことです。

 2つ目は、並外れたスペシャリストであれ、ジェネラリストになるように誘おうとしたことです。短大時代は「小さな巨人」という言葉を造って、これを奨励しています。

 近年、とりわけ心配していることの1つが、日本の教育です。権威のある高学歴者ほどこの2つに対する配慮に欠けた人にしているように思われてならないことです。

 短絡に言えば、最高学府を目指すのはよいことですが、受験をクリアーすることに専念するがあまりに、広く他の知識を身につけたり、体験を通した学習に時間を割いたりしなくなっていることと、自然から離れがちになっていることです。しかも、あらゆることを金額など数値に換算し、その多寡で価値を判断しかねない意識を植えつけていることです。

 そうした人が、人間のエリートとして、金力や権力を手に入れたり、それらを支配したりする立場に着いたらどうなるでしょうか。私は殺伐とした社会にしかねないと思います。唯物的な成長期ならまだしも、量から質に転換すべき唯心的な社会が求められるようになれば、とても惨めで悲惨なことになりかねないでしょう。

 上のような体験の持ち主である私は、彼我の教育のあり方にも興味をいだいています。その一例として、このたびの企業研修では、古い新聞コラムも用いています。我が国の○☓型の設問を暗に批判したこのコラムを思い出しながら、この学生と半時間あまりの地下鉄の道程で、生きる力について語り合ったのです。

 この学生は、我が意を得たりと言わんばかりにニコニコして、次のような失敗談を披露しました。法学部の学生なのに、ある時、農家を訪れて体験学習に挑んだそうです。その折のことです。竈に火をつけるように、と言いつけられ、マッチを渡されたそうですが、マッチの使い方がわからず、笑われてしまった、といったのです。

 その時に、私はその日の企業での朝礼を思い出しました。参加させてもらい、発言を求められたのです。そこで、次のようなことを話しました。私が商社に勤めた頃のエピソードです。人事部員から、女子社員の多くは配偶者を見つけるために入社していますからご用心、と助言されていた頃の話です。

 女子社員が寄り集まって、あの人(おおもての男子新入社員)って「花はバラとチューリップと菊しか分からないんだって」と語らいながら、それを時代のエリートの証でもあるかのようにマブシイ目で見ていたことです。

 その意識が今日の我が国の惨状の遠因でないかと思われてなりません。少なくとも、「勝てば官軍」と社員を激励した藤田田や、「お金で買えないものって、あるんですか」と女子取材記者に問い直したホリエモンなどをエリートにした原因ではないでしょうか。