怠け癖
 

 いまだに庭仕事を「めんどうだなあ」、と思うことがあります。そうした心境の時に、雨が降り出したりすると「ヤレヤレ」と思うものです。しかし、この「ヤレヤレ」の心境にうっかり甘えると、あとには必ず反省の念が待ち受けている、といつしか思い出せるようになりました。これは良き加齢現象でしょう。

 たとえば、種を今にも落としそうな野草を見つけながら、雨にかこつけて「まあいいか」と思い、抜き取らないことが多々ありました。結果、その1本が翌年には100本にも1000本にもなりかねません。まずそれに気付かされました。

 次いで、新聞を取りに出たついでに、傘をかざしてその1本を抜きますと、決まったように、次の1本に気付かされるものです。そして、それにも手を伸ばすと、目は勝手に、3本目を探し求め始めているものです。これは本能かもしれません。

 かくして、いつのまにか、下駄をびしょびしょに濡らしながら、ときには脇に抱えた新聞まで濡らしながら、草抜きに没頭してしまっているのです。これはきっと、未来を洞察する脳の部分に、火を着けてしまったからではないでしょうか。

 きっと、この脳の部分は、芸術など創造的な活動にも没頭させる部分ではないか。没頭していると、それだけで寝食を忘れ去るほど爽快な気分にされるのです。もちろん、仕上がったときの気分は、自信にも似た心境、といって良いと思います。

 とはいえ、これまでに幾度も幾度も、雨に「ヤレヤレ」とか、前日の疲れにかこつけるなどしてサボってきたものです。「楽ちん」とか「便利」いう言葉にかこつけて、サボってきました。要は、面倒なことは他の人や機械に押し付け、お金で「便利」や「楽ちん」を買いかねない自分に追い込み、お金をあてにせざるをえない自分に陥れていたわけです。そのつど、自己完結能力を見失い、ストレスを貯めていたように思います。

 加齢が、いつしか、人間のみが有している脳の部分に、創造的な活動に没頭させる部分に、意識的に点火することが大切だ、気付かせてくれたのです。裏返して言えば、そうした歳のとり方ができたことをとても喜んでいます。これはボケを防止する上で、とても有効なのではないでしょうか。

 人間は自ら、エンジンを健全に点火しないと、自分の体だけでなく地球にもストレスを貯めかねない動物かもしれません。