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台風12号とトルコ旅行 11/09/18
 
 4日(日曜日)の昼過ぎから10日間、トルコを旅してきました。日本トルコ文化協会主催の民間外交が主目的でした。首都アンカラでは荒木大使やトルコから担当大臣や海軍副長官などにも駆けつけてもらい、有意義な旅になりました。120年前にさかのぼるトルコとの友好関係を(日本のマンガ文化を広げるために)マンガで表わし、『絆』という一書に仕上げ、日本の子どもからトルコの子どもに贈呈する催しでした。もちろん観光などもはさんでいましたが、それは次週に回したく思います。

 この旅に出る前日、台風12号の影響があらわになった3日から、出発の直前まで随分庭仕事に精を出しています。ツバキとハナモモ各1本、共に直径10cm強の木を切り取りました。これはエンジンソーのメンテです。コウシンダイコンなど、種まきもしました。これは、過日まいた種をコウロギなどに食べられて発芽しなかった箇所への追加です。他にも、台風直撃を覚悟した時、直撃を免れると分かった時、そして「もう心配不要」と知った時と、めまぐるしく状況が変わり、打つ手を次々と変えさせられたからです。

 アンカラでは、NHKの海外向けTV放送のチャンネルがあり、台風12号の被害をハラハラしながら見つめました。その後、福島原発の被災者を冒涜するような大臣発言を知り、情けないのを通り越して恥ずかしくなりました。遠方から見ると、日本の議会は、肝心を忘れて、莫大なお金と時間をあげ足取りに割いているかのように見えたからです。

 帰国した13日の夕べは、焼いたトウモロコシでビールを楽しむことから始まり、薪風呂に浸かることで終わりましたが、留守中に思わぬことが多々生じていました。居間の前にあるスモモの木が丸坊主にされたり、サツマイモがイノシシに襲われたりしていたのです。そうと知りながら何ら手を打たずに寝てしまい、一夜のうちにトウモロコシが全滅です。これは朝食の野菜を採りに出た妻が気付いたもので、私が庭に出たのは昼前でした。

 冬野菜が青々と茂っているものと思っていたのに、出かける時より貧相になっていました。ミズナやミブナの苗床にいたっては全滅です。これは厳しい残暑も一因でしょうが、妻が水やりを怠たったことが主因です。せっせと水やりをして野菜の成長を促し、虫害を上回らさなければいけないのに、虫にとって餌不足の状態にしたからです。私なら、埋め合わせが効く犬の散歩を割愛してでも水やりを優先していたことでしょう。

 畑仕事に手をつけたのは15日の朝食の後です。まず1度目と2度目の三度マメの棚を解体し、夕刻には冬野菜の種をまき直しました。妻は翌16日から始まる人形教室展の飾り付けの日でしたが、帰宅するのを待って、日が落ちていましたが一緒に冬野菜の苗を買い求めに出ています。しかし、手に入ったのはハクサイとブロッコリーの苗だけでした。

 金曜日、妻は展示会場に出かけ、私は終日庭仕事に励みました。青年助っ人の桑原さんが訪ねてくれたからです。嬉しい知らせを持って来てくれた彼には、最後の一輪車階段作りになりそうな作業にたずさわってもらい、私は畑仕事に専念することにしました。しかしあいにくの時雨になり、彼は未完成で終わりましたし、私は雨があがるのを待ち、暗くなるまで励みましたが、見違えるほどの畑に仕立て直すには至りませんでした。

 週末は、日曜日のルーチンワークの前倒しと、道具学会会長がまた入洛の機会ができたとのことで集うことになり、庭仕事には携われませんでした。人形教室展には日曜日の朝から顔を出し、会場を交歓の場にさせてもらおうと目論んでいます。

4日の朝、風除室の側で間伐したヤブツバキ(左)と、居間の前で切り取ったハナモモの幹(右)。前回エンジンソーを使った折に入れたガソリンを使い切らず、2週間以上も放っていりましたので、使い切ったわけです。ハナモモの跡には、ツバチの師匠にもらったニンジンボクの苗木を植えました。その花は、水色でとても美しい上に、ミツバチの好物です。

日本とトルコの友好関係は、トルコの座礁軍艦プルエミール号の乗組員を和歌山沖の村民が献身的に救助したことにはじまっており、その日本人の真心に応えるためか、海軍の副長官はじめ大勢の制服組にも参加してもらえたわけです。もちろん「絆」も、その物語から始まっています。会場の準備時点、集合記念写真のあとの見送りがてらの、あるいは立食時もスナップ写真に収めました。

帰宅して最初に知った庭の被害は、丸坊主にされたアンズの木でした。あれほど妻が幼虫を退治していたのに、またその後も一輪車一杯分のアンズの枝を切りとって退治したようなのに、ここまで食い荒らされたのです。さぞかし妻は、幹をつたわって次々と降りてくるケムシを、躍起になって退治したことでしょう。きっと今年は、全国的にケムシの被害が出ているはず、と思います。

帰宅した日の夕食時に「この景色を毎日眺めていました」と言って、妻が差し出した新聞記事。妻は奈良県の大塔村で生まれていますし、昨年私はこの村から和歌山にでるときに通る十津川村を訪れており、アンカラで他人事とは思えず、ハラハラしながら見たTVニュースを思い出しました。

サツマイモの畝にレースカーテン地をかけていたのに、剥ぎ取られ、葉っぱを食いつくされていました。そこで気づくべきことに気づかず、翌朝思い知らされたのが、トウモロコシと空芯菜が全滅です。レースカーテン地による人為は最早用心してもらえなくなったわけです。妻は「それほど(イノシシは)お腹が空いているのね」「(トウモロコシを)4本採っておいてよかった」とつぶやいていました。

ミズナとミブナの全滅した苗床と、甚だしい歯抜け状態にされた冬野菜の畝。消石灰を撒いてみましたが、効果の程はわかりません。あと10回ほどしか冬野菜作りのチャンスがない生涯なのに、と残念でなりません。それは同時に、「身土不二」の心境になれる期間を半年間にわたってなくしかねないことを意味しています。

桑原さんは、これまで飛び石状であった道を、一輪車を操作しやすいように直してくれることになりました。きっとこれがわが家で作る最後の一輪車階段になりそうです。この青年は来春から東大の大学院に通うことになりました。そこで学ぼうとしていることは、環境問題をふまえた複眼多能型人間、手前味噌になりますがビブギオールカラーを目指す学問です。