在阪会員有志の集い
 


 興味津々の話題が次から次と飛び出しました。このインド製尻つき椅子、平椅子とも呼ばれる、を示しながら、「坐る」と「座る」について面白い見解が山口さんの口から飛び出したのもその1つ。

 「坐る」は自由席であって、「座る」は指定席との見解です。もっとも、山口さんがとぼけた顔をした時の見解は、どこまで真に受けて良いのか否か分かりませんが、面白い。

 この見解につられて、私は「正座」論を、かつて韓国で聴いた話を思いだしながら披露しました。その昔、朝鮮半島から日本列島に進出した人たちが、先住民を支配する手段の1つとして、今日では「正座」と呼んでいる座り方を強要した、との見解です。

 この話を聴いた当時のことです。「正座」という言葉自体は、1882年のとある文献に現れるのが最初で、江戸時代までは正座という言葉自体がなく、3代将軍家光の時に、江戸城での謁見で全員が畳の上で正座することが礼儀になった。戦国時代までは、女もあぐらや立膝が通常で、正座は神仏を拝んだり、将軍にひれ伏したりするときだけの座り方であった、と聞かされたように記憶しています。

 今もこの見解で思考停止しているのではないかと心配です。なぜなら、今日の日本人は外来の弥生人を主にした雑種でありながら、固定種のように思っていますし、文献の大部分はそのなかでも支配層の世界が主に取り上げられているからです。

 かつて韓国で聴いた話をただすなら、縄文人の足取りや、国会でも先住民と認めたアイヌ人(私はこの2つは同一と思っている)の歴史を紐解かなければならないでしょう。

 

インド製尻つき椅子