啓蒙する活動
 

 知ったかぶりや、少し自慢めいた話と思われかねませんが、とても大事な事だと思いますのでご容赦ください。

 佛教大学の学生に手伝ってもらい、3ケ月ぶりでやっと焚き火ができるようになり、再開しています。わが家では焚き火に幾つもの意義を見出しています。

 その第一は健康問題。人間の生い立ちに配慮した生き方(産経97)の一貫として、つまり不自然な生き方を避ける1つの知恵として、焚き火を位置づけています。ヒトは歴史的に火や煙とか関わって来ましたが、これを人間たる所以の1つにしているからです。

 これにやや似ているのがフィトンチッドではないでしょうか。植物が虫害を低減するために放出するテレピン油の一種のことで、虫にとっては毒物です。ヒトは、この毒物を何10万年にもわたって浴び続けてきたわけですが、その過程で、今も虫にとっては毒物であるフィトンチッドを、いまや森林浴の有効成分として位置づけるまでに適応しています。

 余談ですが、わが家では両親を、ともに享年93歳まで健康に(意識をしっかり保たせたうえで、スギ花粉症などアレルギー問題で悩ませたりせずに)生きてもらおうと願い、母屋の居間の側を焚き火場に選ぶなど、自然に即した生活が出来るように配慮しました。

 もちろん今も、ガーデンパーティの客だけでなく、研修に来る学生にも焚き火を通して、よい煙の効能のほどや、健康増進に効果的な焚き火の仕方を学んでもらっています。もちろん、この願いをかなえるには厳格な分別が求められます。ですから、わが家の焚き火の最中に来られた客の中に、コッピドク叱られた人が多々います。それはフィルター付き紙巻タバコの吸殻などを焚き火の中に放り込もうとした時です。

 次はゴミ問題。世の中から文字通りにゴミをなくす社会にしたい。ゴミはかつて「塵埃」とか「塵芥」と表記していましたが、この文字が用いられ始めた当時は「ゴミ」はほとんどなかったのでしょう。塵(ちり)や埃(ほこり)という文字は、小数点以下の数字を表す漢字でもあり、塵は10億分の1を、埃は100億分の1を意味しています。

 江戸時代はまさにこの世界、分別の世界であったといってよいでしょう。分別の大切さは、過日受け入れた同志社大学の院生にもオーガニック社会・生活デザイン論を通して訴えています。引率者にはシジミとカキガラを砕き、肥料にしてもらいました。カルシウムたっぷりの野菜は、健康にとても有効です。竹の生かし方を担当した人には、最後は堆肥にしたり、焚き火で灰にしたりして肥料にする知恵を学んでもらいました。草刈りをしてもらった人には、野積みして野草の生育を抑制しながら堆肥にする知恵を学んでもらっています。その折に、わが家の庭には紙、金属、あるいはプラスチックなど人工物が一遍もない(ようにしている)ことに気付いてもらっています。

 第3は現世世代への負担の軽減。草木が果たしている社会への効能は言うまでもありませんが、だからといって、剪定くずや落ち葉をゴミと位置づけ、市税を多用して処理させてよいものか。もちろん、適切な処理をする庭がないなどの事情なら堂々と出してよいでしょうが、適切に処理する場があれば、望ましき能力を身につけ、自己完結を目指すべきだと思います。わが家では毎年、その嵩(かさ)でいえば、おそらく2トントラック10台分とか20台分の剪定くずや落ち葉が出ているでしょう。これらを庭で肥料として生かさずに、ガソリンを多用する車で運んでもらって焼却処分してよいものでしょうか。

 第4は未来世代との共感。少しでも自然を尊ぶ環境を維持し、出来ればよりよき環境に戻し、あるいはそうした環境を尊ぶ生き方を実践し、未来世代に引き継ぎたいと真面目に努力しています。少なくとも、妻にはその大切さをココロだけでなく、ムカデに咬まれるなどしてカラダでも会得してもらえたように思っています。でも、その目で見ると、もう1つの大きな問題が見えてきます。それは、社会システムそのものの問題です。

 5つ目は現行法の問題。現行法の多くは間違いだらけであった、と次第に明らかになることでしょう。今日の社会は、環境問題、健康問題、あるいは家庭崩壊問題など多くの悩ましき問題を抱えていますが、それは「良かれと思ってきた」現行法に問題があるためです。この問題は時間が明らかにするでしょうから、その日を待ちたく思います。

 第6は、いわゆる「後ろめたさ」が伴う問題、いわゆるNIMBY。たとえば、わが家では風呂焚きの焚きつけにも簡単には紙を用いなくなっているからでます。それは、紙の中には有害物質をたくさん含んだ煙を出す紙がある、と知ってから実施しています。要は、自分が吸いたくない煙は出さないようにしているのです。問題は、そこで生じるNIMBY問題です。危険性のありそうだと疑った廃棄物はことごとくゴミとして出していますが、その多くはどこかで焼却処分されているわけでしょう。心が痛みます。

 第7は、かねがね気になっていた日本人の陥りやすい性質、寄らば大樹の陰、もしくは陰謀ではないか、と疑いたくなりかねない問題。その典型は福島県で生じた原発問題です。わが国は、自然エネルギーの活用技術では世界に引けを取りません。原発を一切設置していないNZでは、日本の技術で地熱発電を大々的に進めているなど、むしろ先進国です。しかし、さまざまな屁理屈(否定することを目的にした理屈)をこね回して自然エネルギーを活かす発電を抑え、逆の屁理屈をこね回して原発を推進してきました。

 原発は、資本力や独占性が関わる問題を含んでいます。原発開発には巨大資本を必要とします。つまり、巨大資本に独占させやすい技術です。裏返して言えば、権力や資本力にとって、国民の首根っこを押さえやすい発電です。その対極の1つが薪でしょう。