ワールが社名に選ばれていたこと
 


 胸をふくらませて入社した会社では、3ヶ月後に社長室長に任命されました。その最初の大仕事は、会社創立20周年記念ということで20億円もの寄附を神戸市に申し出たことから始まりました。

 その20億円を基金にして、人工島のポートアイランドで体育館をかねた多目的ホールを作って欲しいとの申し出でしたが、さまざまな難関が待ち受けていたのです。

 それは、税金逃れではないかとの勘ぐりに始まり、果ては「そんなことするより、洋服の値段を下げて欲しい」というクレームまでに至りました。この果てに近い問題の解消については私が名乗りを上げ、反感を好感に改めてもらえるように努力しました。

 この案件での最後に残った課題は、ホールの名称問題でした。基金はワールド社の20億円ですが、残る多くのお金は市税が中心です。とはいえ、社名の一部であるワールドを用いた「ワールド記念ホール」という名称をなんとかして採用してもらえました。それで、ワールド社は十分満足できたようですが、私には不満が残りました。

 それは、ワールドという言葉が辞書に出ている普通名詞であったからです。そこで、わたしは2つのプロジェクトを立ち上げました。1つは、「ワールド記念ホール」のワールドがワールド社のワールドであることを、ワールド記念ホールが存続する限り明示しておきたかったことです。2つ目は、ワールドと聞けば、一人でも多くの人が当ワールド社であると思ってもらえるようにすることでした。そのプロジェクトには「全国のワールド消し」との名をつけています。

 1つ目の願いは、目立つところに銘板を掲げることでかなえようとしました。紆余曲折の結果、やっと折り合えた文章が「これ、このとおり」です。

 2つ目の努力は、当時、新幹線の車窓などからよく目についたローンの「ワールド」のワールドを消し去るなどに注ぎました。

 余談ですが、松下電器では、創業者の死後になって出来たことがあります。ブランドの「ナショナル」に代えて、アメリカでは使えなかったナショナルに代えて「パナソニック」を日本でも使うようにしたこと、がその大きな1つです。

 ちなみに、このたび「ワールド記念ホール」を訪れましたが、受け付けや、管理責任者などの方々は、「ワールド記念ホール」のワールドが、目と鼻の先にある「ワールド社」と関係があるとを存じてはもらえていませんでしたし、残念ながらこの銘板の存在すらご存じではありませんでした。