白川郷での思い出
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短大時代に白川郷や妻籠などを幾度か訪ねており、文化の大切さを学生にも体感してもらっています。その経験は、講義でも活かしましたし、わが家の生活と照らし合わせ、よりよい生活信条を見定めるためにも活かしてきました。 本来の文化は、土地柄にふさわしい言葉を生み出したり、酒、音楽、楽器、踊り、衣装、建物、芸事などの成果を創出させたりしていましたが、その反面では狂おしいほど厳格な一面も持っていたようです。それが証拠に、本来の文化は文明の対極にある、と断言できそうに見えます。なぜなら、本来の文化が守られている地域では、自然破壊はもとより環境破壊が進んでいません。きっと孤独死もなかったことでしょう。逆に、文明が栄えたところでは、少なくともこれまでは、必ず自然や環境の破壊が始まっており、急激に生物の多様性にも欠けるようになっています。 強いて言えば、豊かな文化は美しい水や空気、安全な山や海の幸などの下で育まれており、それらを維持させています。その維持の過程で、それにふさわしい言葉を生み出しながら、特色のある酒、音楽、踊り、あるいは衣装や建物などの成果に結びつけています。あるいは、それら成果の創出にふさわしい技を編み出したり伝承したりする人たちを得ており、そうした人たちが助けあい、かけがいのない人になりあっています。 逆に言えば、その生き方は、素晴らしい環境を維持しながら人間であるがゆえのような成果を創出させる「目には見えないシステム」であるといてよく、このシステムを豊かな文化と呼んでよいのではないでしょうか。あえていえば、この豊かな文化の恩恵に浴しながら、このシステムに従うことを厄介に思い、逃げたり破壊したりする人や家族が、いわゆる「村八分」の対象になってきたのではないか、と私は想像するようになっています。 と言うことは、文明はいわゆる「村八分」を作らなくても良いようにするシステムであったといえそうです。これは、とても素晴らしいことであったのかも知れませんが、その代償として自然を阻害して破壊し、資源を枯渇させ、生物多様性を破壊し、村落を消滅させ、挙げ句の果ては家庭崩壊現象まで増やしてきた、と見てよいのではないでしょうか。 2011年11月19日の早朝、思いつくままに。 |