寒さの程
 

 北海道の内陸部では、1つの部屋の暖房のために、その部屋の体積分ほどの薪がいる、と聴きました。その勘定だと、わが家で備蓄している3年分の薪は、2畳程度の小部屋を1冬暖めるだけで使い切ってしまうわけです。そうと知ったときに、北海道の内陸部の寒さのほどを実感させられています。

 そうと知ってから、風呂焚き場に薪を運び込み、積み上げましたが、「この程度の薪の移動でへこたれるようでは」と己を勇気づけ、楽に感じられるようになりました。また、焚き口にへばりついてクズの薪で沸かす(これは私の担当です。妻には15分に一回程度薪を足すだけで済むようしています)作業も、たいして寒さが気にならなくなりました。

 むしろ、ボタンひとつの操作で沸かす湯より、薪で風呂をたてたりその湯を使ったりする方が、風呂に浸かったとの実感にひたりやすいはずだ、と勝手な解釈をしています。少なくとも妻は、薪風呂を「よい湯に浸かれた」と思いながら使っているようで、「よい煙の香り」などといって深呼吸をしています。

 ちなみに、わが家の一帯で薄氷が張った日に、北海道内陸部では「零下10度です」と聴かされましたし、大見では雪が「30cm以上も積もった」ことを知っています。逆に、NZの義兄弟レイさんからは、夏の様子が届きました。

 要は、夏場だけでなく南方なら暖房の要はないわけだし、砂漠地帯では昼は冷房、夜は暖房の要があるわけだ、と多様な環境に進出したヒトに思いを馳せたわけです。そして、他の動物とは違って、ヒトは環境に合わせて己の体を進化させるのではなく、環境に適応する道具や機械などを作り出し、さまざまな環境に進出したことを再認識しています。これは裏返していえば己の体を退化させていたわけで、その行く末に思いを馳せています。

 
 

風呂焚き場に薪を運び込み、積み上げました

クズの薪