新顔の助っ人
 

 3人の助っ人に渋柿とりもしてもらいました。そのおりに、途中で新顔の橋本卓道さんがいなくなっていました。後で分かったことですが、目にゴミが入り、喫茶店の手洗い場の水道水で目を洗っていたそうです。そうと気づいた妻は、常備している目洗具と目薬を貸しました。

 渋柿とりに戻ってきた卓道さんを交えて、お茶の時間になりました。その折に、24歳になる彼から、目洗具や目薬を初めて使った、と聞かされました。続けて、家族は山奥に住んでいた関係で、国民健康保険にも入れなかったし、両親は年金制度にも入っていない。だから、病気はすべて家族で直したし、まず病気にならないようにしてきた、と知らされています。さらに、彼の卒業と同時に、通っていた小学校は廃校になったことも知りました。そうした話を聞きながら、いろいろなことを振り返りました。

 妻も、小学校は1〜3年生と4〜6年生の混合2クラスでした。もちろん無医村です。肉屋や魚屋はありません。卓道さん一家7人のうち、すでに6人と顔見知りになっていますが、いずれもすこぶる健康です。いまだ出会えていない海外で活躍している長女も健康とうかがっています。過日半断食でお世話になった折のことも思い出しました。参加者の顔の様子や手足の様子などから各人の身体状態をよみとって対応していた有り様です。

 話は元に戻し、その日、私たち夫婦の夜なべ仕事は、干し柿作りの準備でした。大きめの実を選んで150個ほどの皮をむき、二通りの干し方を選んで軒先に吊るしました。小さな柿の多くは堆肥の山に捨てましが、その幾つかを選んでアクセサリーを作り、開放部分の一角にぶら下げました。

 その上で、私は寝酒をちびちびやりましたが、私たち文明人が見失った自己責任能力と自己完結能力に思いを馳せています。それが実感に乏しい生き方に人々を追い込み、身勝手にさせかねず、孤独化させたりストレスを溜めさせたりしている大きな要因ではないか、と考えています。

 それはさておき、このたびの助っ人3人とも、恒例の焚き火で1日の作業を締めくくっています。

 きっとこれから卓道さんは、時々助っ人として通ってくれることでしょう。