いつものごとくに思案
 

 妻は今、人形創作に燃えています。この2年ほどの間、独自の創作時間を思ったように設けられなかったようです。もっとも、それはそれでとても楽しかったようで、没頭していました。そうした状態が、一番ウズウズした創作意欲をわかせるようです。工房にこもって創作に没頭し始めたら、寝食を忘れたかのようになって、何時間もアトリエに陣取ってイます。

 その創作過程は、私のコンクリートブロック作りと似た所があります。決してデッサンやスケッチなどをしません。つまり、設計図を完成させてから、その設計図にそって作業を進めるようなことをしないのです。それでは「楽しくない」と言います。

 このたび私は、2つの特製のコンクリートブロックを作りましたが、設計図を完成させてから造作に当たっておれば、2度手間を省けたはずです。現実に、電動大工道具セットや工作台を2度持ち出すだけでも大変な手間でした。効率、生産性、あるいは費用対効果などといった観点から言えば、落第です。しかし、この落第の繰り返しにこそ喜びの源泉がありそうだ、と気づいたわけです。

 動力機械が世の中に出現し、流れ作業方式が考案され、工業社会は軌道に乗っています。そのおかげで世の中は、とりわけ物的に豊かになりました。しかし、その陰で人間を分解するという弊害をもたらせています。「ホワイトカラー」や「ブルーカラー」などと分解し、次第に細分化してきました。いわば「思案」と「作業」を切り離してきたわけです。

 もっとも、そうなりかねないことを、ウイリアム・モリスは19世紀半ばに見通しており、警鐘を鳴らしています。それは、学生時代に知識として学んでいましたが、やっと近頃、寝食を忘れて草抜きや工作に没頭する時間的ゆとりを得て、得心です。

 思えば、私の幼児期は、栄養失調で餓死者が出ていた時代です。にもかかわらず、私は寝食を忘れて遊びに没頭していました。夕食の用意が出来たことを知らせる母の呼び声が、いつも「孝之ちゃん」から、厳しい声で「孝之」と村内に響き渡る叫び声になるまで、遊びの手を止めていません。その時代は、既製品のおもちゃなどはありませんから、遊び道具はもとより、遊びそのものを創造していました。それが面白かったわけでしょう。

 百姓とはよく言ったものです。この1日だけでも、私は農作業、大工や左官仕事、薪作りなどの山仕事、あるいは風呂炊きなどの手伝いさん仕事など、様々な職種に携わっています。ある一面では、だから厳しい年貢のとりたてにも耐えられたのでしょう。耐えられなくなれば、村を捨て、逃げ出して生きて行ける力を備えていたわけですから。