感慨深げに
 

 私の場合は、失敗を重ねながら、35年あまり前から、苗を植えつけたり種をまいたりする樹木の「50年後、100年後の姿や役割とか立場」に配慮するようになっています。草花については、それよりずっと以前に、「1年の計」の必要性に気付かされ、花壇づくりをしてきました。思えば、この「1年の計」の必要性に気付かせたのは、富美男さんの弟の美雪ちゃんでした。小学校に入って最初に出来た友だちです。

 にもかかわらず、いざ樹木の手入れとなると、なぜか「翌年、新たに芽吹く枝」のことで頭がいっぱいになっていたようです。まるで私は、彫刻家が「完成時の姿」を頭に描いて、一ノミ一ノミ加えてゆくように、樹木を育てようとしていたのです。つまり、それが「決定的な忘れ物」を私にさせ、気がついたら「ズルズルとかジワジワ」といった事態に結びつけていたわけです。いつの間にか枝が込み合ったりしていたのです。

 「決定的な忘れ物」とは、「三次元と四次元の違いに対する配慮」の不足です。二次元の絵画や三次元の彫刻や彫塑に飽きたらず、「新たな作庭」に生涯を掛けていながら、その過程には欠落点があったわけです。つまり、庭づくりの魅力の本質が四次元であることに気づいていながら、忘れ物をしていたわけです。それは、草木という生き物や、その花粉の媒介や種をばら撒く役割を担う蝶や鳥などの生き物に対する配慮の不足です。

 生き物は片時も留まってくれません。自らの意思(?)で刻々と成長します。その四次元性に魅力を見出していながら、私は三次元の彫刻や彫塑を立ち向かうようなやり方をしていたわけです。つまり1年と100年の間で求められる大切な「何か」にたいする配慮不足です。アダム・スミスは人間の何かを「見えざる手」と呼びましたが、生きとし生けるものの何か、いわば「見えざる思い」への配慮不足があったわけです。その何かが、知らず知らずの間に、予期せぬ結果に結びつけていたわけです。

 このようなことを考えているうちに、なぜか己の白内障のことが急に気になり始めました。これまでは老眼を嘆く程度で、ジワジワとすすむ視力の低下についてはさほど気にかけていなかったのです。妻が治療を急かさないのをいいことに放ってきたわけです。

 妻は、私の視力低下を気にかけていますが、母のケースを思い起こして、手術を受けさせるか否か思案しているのではありませんか。それは母が、手術の前後で態度を一転させたからです。以前は、妻が母屋の掃除をしようとすると、「ほっといて、まだ汚れてへんから」と断っていたのに、術後は、つまり目を生まれ変わらせてからは、「私の手はこんあにしわくちゃだったのネ」と母は嘆き始めたのです。妻は、己の顔のシワが気になっているのではないでしょうか。それはむしろ「加齢による魅力」として育むべき対象なのに。

 それはともかく、私は亡き母と同様に、身勝手なことをしていたのではないか、と急に心配になったわけです。己のかすんだ目が正常だと思い込み、自分の立場を優先しかねない心境になっていたのではないか。つまり、術後の目、いわば新しい目で捉える世界のことに想いが至らず、身勝手な判断を下していたのではないか、との反省です。この反省は、次世代の人々の目、感受性に富んだ目を気にし始めさせました。そして、政府の不甲斐ない今日のありようにまで、目を向けさせてしまったのです。

 まず、過日の韓国大統領来日時に持ち出された従軍慰安問題の一件でした。野田首相は、1本勝負に完敗した、と思いました。次世代の澄んだ目のことを忘れている、と思われたのです。それは、いずれ「未来世代に負債を引き継がせかねない」ことをし続けてしまっていたわけだ、と見透かされかなない失策と見えたのです。

 韓国大統領はこの問題を唐突に、前面に持ちだしたようですが、いわばその配慮(?)にたいして、首相は上手に応えられなかった。少なくとも、その唐突な持ち出し方を千載一遇の好機として受け止める度量や覚悟に欠けていた、と見たわけです。

 福島原発事故も不甲斐なさの典型例をあらわにし続けています。たとえば、かくなる事故を起こしていながら、政府は民間の原発輸出プロジェクトを推進させています。

 この事故は、日本の学者の体質もあらわにしたように思います。たとえば、政府(福島原発)事故調査委員をつとめた尾池和夫前京大総長もその一例でしょう。「日本の原発技術は未完成」との見方を示したようですが、なぜもっと早くその現実を指摘し、打つべき手が打たれるように進言して来なかったのか。京大は、多くの国家予算(民のお金)を割り当てられているだけでなく、その多大な部分を原子力関係の研究に用いています。

 おもえば、2011年は、日本の企業の体質もあらわにした1年でした。王子製紙やオリンパスはその典型でしょう。この2社が特殊な例であったわけでなく、日本企業の特色ではないか、と世界は疑い始めていることでしょう。その疑いの是非は、もうすぐ明らかになりそうです。オリンパスの例でいえば、社長を解任された外国人元社長の主張にたいして、オリンパス株の日本人株主や日本の企業株主の対応が明らかになるからです。つまりこれら株主は何を守ろうとするのか、があからさまになりそうです。

 話を元に戻して、このたびの従軍慰安婦問題の一件を、なぜ千載一遇の好機と見たのか。それは、韓国大統領が唐突に持ちだした案件であったとすれば、首相は己の信念でもって即答し、民主党政権による政治主導を確立するいとぐちにできたはず、と思ったからです。首相には、日本のために、とりわけ日本の未来世代のために、常日頃から心得ておくべき覚悟があって当然です。その覚悟を、身を呈して発揮きすべき好機であったはずです。

 つまり、従軍慰安婦問題は未解決問題であったと認めるべきであった。

 さもなければ、つまり解決済みとの主張を繰り返すのなら、日韓共同で同問題検証委員会の立ち上げを提唱すべきでした。そして、解決済みと主張してきた根拠を、国民に、とりわけわが国の若者に、洗いざらい明らかにしてほしかった。それが民主政治です。

 さらに、在韓日本大使館前の公道で一石を投じて欲しかった。それは1つの石碑を建てることです。そこには過日、「慰安婦像」が設置されましたが、その真横に日本国憲法第9条を明記した石碑を、韓国政府に無断で設置してほしかった。そして、時を移さずに渡韓した首相が、この2つの記念碑の前にたって会釈して欲しかった。

 もしそうしていたら、韓国民だけでなく、世界が日本を見直していたに違いありません。諸悪の根源は戦争である、との共感を広めていたことでしょう。もらわなければいけないはずです。きっと多くの若者は首相に傚って渡韓し、2つの記念碑に向かって会釈するに違いありません。そして会釈しながら、希望の種を心にまくことでしょう。

 もっとも、こうした期待がはずれてもよいのではないか。そのような場合には辞任すれば良い、と首相は腹をくくってかかる立場ではないでしょうか。そして、その是非の判定を未来世代に託せば良いのではありませんか。きっと将来、その身を呈した行為が、わが国の「未来世代に負債を引き継がせかねない」事態に陥れさせずに済ませたということを明らかにすることでしょう。余談ですが、権限とは、そうした覚悟が出来る人に与えられるべき権益ではないでしょうか。

 ここまで考えたときに、平和の象徴とも言うべき武器輸出三原則を緩和しかねなくなった、との最近の新聞記事を思い出し、砂を噛むような思いに駆られました。