太陽に向かってお願いしようか
 

 私は宗教を、人の心を安らかにする宗教を、とても大切な「人間の知恵」だと思っています。それは人類が最初の文明(メソポタミヤ、エジプト、中国、あるいはインドなどで相前後して多発した文明)が行き詰まったときに、相前後して多発させた人類の知恵でしょう。しかしその後、多くの宗教は細分化し、その差異にとらわれてあい争い、収束する力に欠けているように見えます。

 また私は、いつしか有限の化石資源(いわんやウラン資源) に依存する近代文明に疑問を抱くようになり、1973年から植樹を基本とした自然循環型の生き方を可能とするモデル創りをライフワークと見定めてきました。それは、それぞれの土地柄を活かし、太陽の恵みの範囲内で永続的に繁栄する生き方です。それは家族が相互扶助関係にならないとうまく機能しない、すくなくとも楽しくない生き方です。その根本は形の踏襲ではありません。

 にもかかわらず私は、元旦はまず神棚と仏壇で手を合わせてきました。それは、長年にわたって亡き母が拝んでいた神棚ですし、仏壇は父の死を契機にして母が買い換えさせた代物であったからです。そうしてきた、といえば言えなくもありません。もちろん、この「形」は、とても大切な属性だと思います。主客転倒させてはいけない属性です。

 ですからこのたび、「いっそのこと、(元旦の)太陽に向かって祈るほうが妥当ではないか」と思った次第です。もし大震災などで神棚や仏壇を失えば、そうします。