お母さんごめんなさい
 

 人はおかしなものです。

 まず、父と母は随分性格が異なっていました。私が「これ以上の愛情表現はない」と思った父の言葉を、母は「鬼の言葉」として受け止めました。この点では、妻は母に近い。母とそっくりの聞きとめ方しかしかねないように見受けられます。

 その1例は、私が大怪我をしたときのことです。帰宅して母から事情を知らされた父は、そそくさと私の寝床に駈けつけながら「いっそのこと死んでしまえ」と叫びました。後を追ってきた母は、父が去った後で「鬼のような人ネ」と口走っていました。

 その母は、仏時の食事などは仕出し屋から取り、仏壇などに供える花は、必ず花屋で買い求めることを私たち夫婦に迫りました。それが母の頭に出来上がっていた「形」であったのでしょう。

 父は、食事についてはノーコメント。それは車にとってのガソリン、オイル、あるいは水のようなもので、純度や性能第一主義。その意味で、妻が調理した食事を一番信頼していました。花については、父は花壇づくりも好きだったし庭の花を優先する人でした。

 死についていえば、母は私に墓地の候補地を指図し、買い求めに同行し、そこに父を埋葬させ、当然己も入るものと信じて死にました。また、死についてきちんと語ることをよしとし、延命策不要、あとは2人に任す、が絶筆でした。父は逆に、私が商社でもらった退職金で買い求めた墓地なのに、しかも父が死ぬ20年近くも前に買い求めていたのに、ついに見届けず終いでした。それは父方の菩提寺の墓地を嫌った母への抵抗か、と見なくもありませんでしたが、そうではなったようです。死について語ることもしない人でした。

 妻は、両親の生存中は明らかに父とウマが合っていました。母はよく「2人は(干支が共に)ウシやから」と揶揄したものです。にもかかわらず、母が死んでからは、妻は頂きものを仏壇に供えるときは、必ず(「鬼嫁じゃ」と罵ったことさえあ母なのに)「お母さんに」と言っており、「お父さんに」とはいったことは一度もありません。

 人はおかしなものです。