「あてがいぶちのない遊び」に+「α」
 


 生活習慣病の一つとして、この『脳からストレスを消す技術』という本の中で、有田医師は遊びもとり上げています。短絡にいえば、ストレスを解消する遊びと、逆にストレスの原因に、生活習慣病の原因になる遊びに大別できることです。たとえば、意外なことに、一晩中飽きもせずに没頭しかねないコンピューターゲームなどはストレスを生じさせ、生活習慣病の原因になっているそうです。それは、「遊んでいた」つもりで「遊ばれていた」事になるのではないでしょうか。

 この「遊ぶ」と「遊ばれる」の違いに私はかねてから関心を抱いてきましたが、その差異は従事者が脳のどの部分を働かせながら取り組んでいるか、の違いのように思います。もちろんどちらの部分であれ、ストレスとは直接関係があるとは思いませんし、むしろ、共にストレス解消に供することができそうに思っています。

 それは食事でも同じことが言えそうで、生活習慣病に結びつけかねない食事はストレスの原因になりかねないでしょう。もしそうdとすると、「食べていた」つもりが、「食べさせられていた」ことになりかねません。同様に遊びも、「遊んでいた」つもりで「遊ばれていた」ことになる事例が多々あるのではないでしょうか。

 要は、人間たるゆえんの脳を駆使しない「快」や「喜び」に没頭する遊びは、その提供者が創造性を駆使して「遊んでいた」ことになり、逆にその享受者は「遊ばれていた」事になるのではないか。

 問題は、提供される「遊び」そのものが問題ではなく、提供者の創造性の是非によって2大別されることになりそうです。

 その善し悪しをここで決めつけたいとは決して思いません。いわんや欲望を否定する気など毛頭ありません。むしろ逆で、欲望の発露が健康の源泉の一つだと思っています。問題は、野放図な欲望の開放です。それをそそのかす意図から生まれた衣食住や遊びに始まり、果ては薬や顕彰、あるいはそれを許している法やシステムなどです。