次のような寄稿
 

「地球の日本」に再生しよう。

 3月12日の深夜、私は「これを機に日本は生まれ変わらないと、犠牲者が浮かばれない」と思いました。実は、311の大震災を、私は東京八重州口のとあるビルの13階で体験し、わけあってその後は車で茨城県に向かい、強い余震が続く東海村で一夜を過ごしています。津波の恐ろしさは、翌深夜にたどり着いたわが家のテレビで知ったのです。

 それは、さまざまな経済的資産がことごとく負債に変わる姿でもありました。私は、「明日は我が身」と身構え、翌朝から我流の耐震工事に手を付けながら、「必ず日本人は立ち上がる」と心に言い聞かせています。しかし、「復旧では未来はない」と考え、「1つの地球で済ませたい」との持論を思い出しています。それは、これまでの日本人並みの生活を、地球上のすべての人が真似ると地球が2.4個も必要になり、それ自体が深刻な紛争の種であるとの危惧が綴らせた私見です。

 わが国は「1つの地球で済む生き方に転換する」との国是を定め、世界に向かって掲げてはどうでしょうか。復興には、膨大な経費や資源だけでなく、遠大なる時間も必要でしょう。これらを投じて、東日本の復興を、この国是実現の第一歩にするのです。日本は地震の巣窟です。そう遠くない未来に、関東や東南海なども激震に襲われないとは限りません。それを「日本は好機とする」とばかりに腹をくくり、やがては国全体を1つの地球で済ませられるように仕立て直してしまうのです。世界は大地震の活動期に入っているようです。その災難の救済も国是に含め、世界に向かって宣言してはどうでしょうか。

 こう考えながら、全軍出動している自衛隊の姿をまぶたに描きました。医薬品などを背負ったパラシュート隊員が空を覆ったりしている光景です。自衛隊はこれを機に「世界の災害救援隊」に生まれ変わるのです。ならば、わが国の若者は大勢が入隊し、世界になくてはならない国をめざして心血を注ぐことでしょう。大天災のたびに、日本は世界災害救援隊として整備してゆき、世界からあてにされる国になり、不可侵の対象になるのです。

 いよいよ計画停電が不可欠となりそうです。この必要性を原発の是非が問われはじめていた時期に持ち上げていたらどうなっていたか。きっと原爆被災国の考え方として世界は注目し、「さすがは日本」「日本人らしい」と眩しい目で見てもらえていたでしょう。

 わが国は国土が狭くて天然資源に恵まれない国といわれますが、決してそうではありません。それは一瞬にして負債にかわる経済的資産に偏重した考え方です。日本は元来、美しくて豊富な水を得られる美しい環境的資産と、並外れて忍耐強く、統制のとれた人的資産に恵まれています。水は、もはや油以上に戦略的資源になろうとしています。

 子どもの頃の私は、のどが渇くと小川の水で潤しました。わが国は、いわば大量のミネラルウオーターを海に流しさっていたような国でした。その水は、今では1リットル何10円などと換算できる時代です。つまり、きれいな水を取り戻すことができれば、日本は国家予算に相当する収益を、何ヶ月かの水の輸出であげられる計算です。しかも、それが観光資源の源泉にもなります。

 なにも1世紀前の生活に立ち戻ろう、と言いたいのではありません。「古人の知恵」と「近代科学の成果」をうまく組み合わせ、太陽の恵みを巧みに活かせば、わが国は自然豊かな超近代国家に再生できるのです。その国家を夢見て、私は40年ほど前から試行錯誤を繰り返してきました。それは、農的なモデルの1つに過ぎませんが、手応えを感じています。

 その気になれば、誰にでも手が出せる自然循環型の生き方があるのです。わが国の限界集落や耕作放棄地などを活かせば、このたびの被災者をたちどころに吸収し、その日から生産的活動に勤しんでもらえるようにできる生き方です。

 これまでは、資源は掘り出し得、水や空気は汚し得のごとき、自然ドロボウ社会であり、幾つ地球があっても足らないような方向へと人々をせきたてていました。このたびの震災を機に、被災者の中から、1つの地球で済ます生き方を希望する人や家族をつのり、国が全面支援するシステムを構築すべきです。つまり、次々と生じかねない被災者の中の有志を残る大部分が負担して、順次1つの地球で済ませるモデル国家に仕立て上げるのです。

 そのために「苦労を分かち合う国民になろう」との新生日本の方向を、党派を超えて国会はブチ上げてほしい。この震災を機に日本が率先して動き出せば、日本のみならず世界の若者が希望を抱き、明るい未来を切り開こうと参集するに違いありません。