戦時中の秘話
 

 沖永良部では、島を支配していた日本軍の命令で、3種の防空壕を掘っています。その1つは、島民の集団自決用防空壕で、他の2つは、家族用と誰でもが自由に飛び込める非難壕でした。今も、これらを掘らされた証言者のおおくが存命中とか。

 当時の沖永良部島には、沖縄戦からの逃亡兵がたどり着いたり、沖縄に向かっていた神風飛行隊員が不時着水したり(?)していたようです。

 沖縄島からの逃亡兵約120名は、沖永良部では卑怯者とみられ、肩身の狭い思いをしていたようです。また、銃殺刑などに処す命令権を持った沖縄守備隊長亡き後にたどり着いていたようで、銃殺刑に処すわけにもいかず、沖永良部島守備隊長は沖縄への再上陸を命じています。つまり、死に場所を与える配慮をしたわけでしょう。

 もし、私が沖永良部島守備隊長であったとしたらどうしていたか、と考えています。そして「私はキット」との答えを出していますが、すぐに思い直しています。それは正常時の判断であって、当時の異常な時点であれば違ったことを、つまり心にもない事をしていたに違いない、と思い返しており、憲法9条の大切さを再確認しています。要は、自分を異常な心理状態に陥れること自体を拒否し、それを誇りにして死を覚悟する方がましだ、と考えたわけです。

 人生とは泡沫(うたかた)、いかなる死に方をするかを究極の目的にせざるをえない泡沫のようなもの、との心境が理解できる歳になったようです。