人類の行く末
 

   サマルカンドに向かう320kmの道中でアム(川)ダリヤを渡りました。雪に覆われたトルキスタン山脈を左に見ながら、正面にはザラシャン山脈、そして右には冠雪のウラタ山脈を望むあたりを過ぎたころのことです。シムダリヤは帰路でわたりましたが、その折に人間の行く末、つまり人間のおぞましさを思い知らされたような気にされたわけです。

 この両大川はアラル海で合流し、かつては世界第4の広さを誇る巨大な塩湖を形成させていました。この度、そのアラル海が2015年には消滅しそうだと知りました。私がカザフスタンを訪れたときは、たしか3分の1になっていた、と記憶しています。それは、1960年ごろからこの両大川を灌漑し、ワタや小麦の栽培を始め、それを大成功かのように見たことから始まっています。コルホーズやソホーズの成功例として世界に喧伝さらました。現実に、ソ連はワタの輸入国から輸出国にかわっています。

 やがてアラル海の水位低下が始まり、塩分濃度が高くなり、漁業は壊滅。しかしそれに携わっていた50万人を吸収して余りある農業の繁栄が見られました。私が訪れた頃は「今、灌漑をやめればアラル海は復活する」。ただし「灌漑農法の成功で増大した人口500万人が路頭に迷う」。かといって「この灌漑事業を続けていたらアラル海が消滅する」。そして「気候変動などの弊害が予測される」と騒がれていました。

 問題は、増大した人口500万人をおもんばかって農業を続けた時のボデーブローのような弊害です。それは塩害。すでにそのころ、ヘリコプターで訪れたコルホーズの村内では、一面が白くなるほど塩害が現れていました。しかし、村人はちょうど始まっていた結構披露宴で浮かれており、歓待されました。

 本当の恐怖は、村外の農場の地下で生じていました。灌漑時と農閑期に灌漑をやめた時に地下水位が上がったり下がったりするようですが、その現象が塩の層を造り、5cmに、10cmにと厚くしてゆき、やがては農業を不可能にしてしまう恐れでした。つまり、いずれは破綻が待ち受けている、と恐れられ始めていたわけです。

 このたびわかったことは、この両大川の灌漑でウズベキスタンは最大の恩恵を受けていたことです。ソ連のワタの産出量の60%を占めていたとか。独立した今も、農業を続けながら気候変動を実感し始めていました。

 私は沖永良部島で日本の縮図を見ましたが、それはアラル海で生じていたこの物語をベースにしていたようです。そこに世界の縮図、文明に酔いしれる人間の行く末、を視るような思いにされていたわけです。

 それはともかく、バイキング料理が続いた旅でしたが、私はささやかながら減量計画に成功しています。それはひとえに半断食道場での気付きのおかげだろ思います。

 

アム(川)ダリヤ

トルキスタン山脈

シムダリヤ