信じるところ
 

 未来には、「願望の未来」と「必然の未来」がある。これまでの半世紀は、日本はひたすら「願望の未来」を目指してきた。それは「欲望の解放」であったから、心を1つにしやすかった。問題は、その過程(プロセス)がさまざまな弊害を生じさせた。公害に始まり、地球温暖化など他のすべての生きものにまで被害を及ぼす環境破壊にまで範囲を広げるまでになってしまった。

 その張本人は、企業であり、その企業の恩恵にあずかろうとして群がった政治家など組織的な人でしょう。問題は、そのおこぼれに預かったり、気づかぬふりをして「消費者」として連帯したりしてきた「個人」ではないでしょうか。

 それは緩慢なる皆殺し作戦のようなものですが、「願望の未来」を追い続けるか、「皆殺し作戦」を集結させるかの選択を迫られている。

 これからは、「欲望の解放」を「人間の解放」とみる誤解を解いて、「個人」が「人間の解放」に目覚め、心身ともに晴れやかになろうとしないと人生がモッタイナイと思われてなりません。