犬が好むイネ科の野草
 

 3匹の犬の散歩は金太から始めており、私は庭の中だけでの散歩で済ませています。金太とハッピーは元気ですから門扉から外に出たがりますが、その意思表示がまったく異なります。ハッピーは、垣根の隙間を探すだけでなく、門扉の下をくぐって出ようとします。他方、ハッピーより2回り小型の金太は、門扉の錠をはずそうとして(のことだと思うのですが)背伸びして錠に前足を差し伸べますが、届きません。

 まずこの違いを見て、何とかしてこの両者の知恵の差を明らかにする実験がしたくなりました。もっとも、これまでに、その差が歴然としている証拠は幾つも掴んでいますが、その知恵の度合いを明らかにしたくなったのです。

 それはともかく、ケンは「なんと数奇な運命だこと」と改めて思いました。このたび迷い込んだ小型犬の扱いに苦慮した過程でつくづくそう思いました。ケンはかつて3度も迷子になりながら、3度とも命拾いをしています。その穏やかさが人の心を打ったようですが、いまや耳が遠くなったせいか、わが家の3匹の中では最も傍若無人な一面を示すようになっており、手を焼かされています。

 まず最初にケンが迷子になった時のこと。子犬だったケンがいなくなったことに気付いた時に、第一に妻は警察に捜索願いを申し出ました。このたびの迷い子を拾い上げた妻は、きっと「この飼い主も今頃は」と思ったようで、まず警察に電話をしています。

 もちろん警察は、犬の捜索などしてくれません。ケンの場合は、「1頭似た子犬を保護していますがお宅の子犬ではない。名札がついていますから」との返事でした。このたびの犬の場合は、「何らの届け出はありません」でした。そこで、妻は翌朝をまって犬を警察に届けようと思ったようですが、「届けていただけば、すぐに保健所に引渡します」との返事があり、躊躇しています。

 ケンの場合は、妻は近隣の捜索を続けるかたわら、折にふれて警察と連絡を取り、そのつど同じ返事を受けています。その時の妻の様子は、さながら我が子を失った母のごとくで、「ケン」「ケン」と叫びながら捜索範囲を次第に広げていました。そして1週間ほど後のことです。妻は警察の本所に出かけて「どうしてこんなに可愛い犬を逃したのか」と叱られており、素直に謝っています。そして私にも「どうして簡単に謝ったのだ」と叱られています。なぜなら、妻は連日、最寄りのポリスボックスだけでなく、本所に移送したと聞かされたのちにも本所に電話を入れ、「似ているが、お宅の子犬ではない」との返事をし続けられていたからです。

 それはともかく、なぜケンが戻ってきたかというと、警察から「一度この犬を見に来ませんか」「気に入れば、お宅で飼われてはどうですか」と誘ってもらえたおかげです。

 その後、成犬になってからケンは2度もいなくなっていますが、2度とも同じ最寄りのポリスボックスに出かけて引き取っています。2度とも、偶然鎖が解けたのでしょう。そしてなぜだか同じ場所で道行く人に保護されており、そのポリスボックスに連れて行かれています。

 最初は、手元の戻ってくるまでに1週間ほど要しましたが、2度目は2日後であったと記憶しています。もはや立派なオスの成犬でしたから、遠出をしたに違いないと思った私は「いずれ帰ってくるよ」とのんきに構え、「もし犬とりに捕まっていたらどうするんですか」と妻が騒いで警察に届け、戻って来ました。3度目は、妻は探しもせずにまず警察に電話を入れて、直後に引きとりに行っています。

 このたびの小型犬に関して言えば、警察との数度にわたる連絡をしています。「わが家でしばらく保護します」、「ご近所で保護してもらえることになりました」、「そのおたくは、私どもより、この種の犬を飼いなれておられますから」、「もちろん必要なら届けを出させてもらいます」などと内容が変わったわけです。驚かされたことは「保護者としての権利を放棄されるのですね」との念を押されてことです。それで事情を理解しました。

 結局、門扉のわきに掲示していた「小型犬を保護しています」との看板を週末に外しています。どうしてヨークシャーテリアではなく、小型犬と書いたのか、と妻は首を傾げましたが、「本当の貸主にお返ししたいだろう」と応えますと、妻は目を輝かせていました。

 そういえば、わが家はケンを見つけて下さった人にお礼をしていないね、と妻に尋ねました。もちろん警察に尋ねたようですが、いずれも「名前を聞かせてもらっていません」、「お急ぎの観光客でした」との回答であったようです。2度目の時は「絶対に保健所には引き渡さないで、といいのこされました」との情報も得ています。

 このたびの犬は、「経産婦だ」と妻は言いました。警察に届けた後も、居間で抱いてやっていたのです。「爪も伸びている」、ともいいました。後ろ脚の爪は食い込んでいたようです。そういわれてみれば、ケンも爪をよく伸ばします。鎖につないでおくと終始寝そべっていますから、擦り切れず、伸びてしまうのです。

 結局、つい最近までヨークシャーテリアを飼っていたおたくで飼ってもらうことになりました。そのおたくは、預かってもらっていた間に、獣医に見せていました。爪を切ってもらっただけでなく、「散歩に連れ出されておらず、檻で飼われていたようだ」などと、この犬の境遇を推定してもらっていました。

 話をケンに戻します。ケンは寝そべっているのが好きなくせに、散歩は大好きです。だけど、日に30分足らずの散歩だけでは爪は擦り切れないのです。また、後ろ脚の筋力が退化するに従って、散歩の距離が減りがちになりましたから、妻は散歩用のベルトを考案しています。

 スリランカ旅行から帰ってみると、ケンは首輪をはずして、体全体を引き上げられる規制のベルトを買ってもらっていました。同時に、風呂場のマットの上に、いわば犬用のパンパースを敷いてもらっていました。

 私はその敷き替えや餌やりだけでなく、傷の治療や散歩まで引き受けるはめになったのです。妻に、散歩をしないとみるみるうちに脚が弱る、あるいは床ずれがひどくなる、と脅されました。きっと妻は、帰宅後丁寧にケンの様子を点検することでしょう。私には、母の面倒を見させた引け目がありますし、早晩私自身がケンの立場になりかねないとの弱みもあります。

 そうとは分かっているのですが、ケンは傍若無人です。耳が聞こえませんから「お座り」と「待て」も聞こえません。他の2匹は、わが家で教えているこの2つの躾で制御出来るだけでなく、餌やりが遅れても吠えたりはしません。ケンは、腹がすけばすぐに吠えます。餌をやろうとすると、前足だけで食いつきにかかり、容器をひっくり返しもします。

 その点で言えば、父のごとくになりたいなあ、と思います。父は満92歳で1週間寝込み、そのまま静かに息を引き取っています。一度尿を漏らしましたが、妻に拭ってもらい「すまんなあ」と応えただけで済んでいます。死後、妻に「もう少し世話をしないと、亡くした実感がわかない」と文句を言わせています。

 それはさておき、ヘトヘトになるだけでなく、腹が立ち始めた2日目の散歩で、心境に変化が出ました。まず金太の散歩から始めていますが、犬が好むイネ科の野草が庭からほとんどなくなっていたことに気付かされたのです。これまでイネ科の植物を目の敵のようにして抜いてきたからです。その中の1種は犬が選んで食べる草であったことを金太の散歩で思い出さされたのです。

 わが家では、妻の目に留まり良い所にナツメを植えていながら、このイネ科の草を絶やしかけていたわけです。反省です。ナツメは婦人病の薬木です。もちろん妻はそうとは知らないでしょうが、妻の遺伝子が知っており、無意識の内に情緒を安定させているはず、と見ています。犬は、人間のように机上教育などで既成概念を植え付けられたり本能を退化させられたりしておらず、いまも本能で薬草を見分ける力を保ち続けていますし、ですから逆に国環境破壊行為もしていません。その犬の薬草を絶やしかねないことをしながら、ナツメを植えていたわけです。

 それはともかく、この小型犬に限って言えば、とても幸せなことに結びつきそうです。しかし、世間ではとても悲しいことが生じていることを知りました。わが家の近くで言えば、9号線で亀岡を目指すと、トンネルの手前辺りでその悲劇の1つを目の当たりにできるそうです。売れ残った子犬が、あるいは飼育放棄されたペットが、集められており、最期の水を飲まされた直後に電機仕掛けで皆殺しにされています。90%が子犬のようです。もちろんその前に、火曜日と金曜日にお披露目の機会が設けられており、希望者に引き取ってもらえるようにしているようですが、その数は少ないとか。

 後日談ですが、ハッピーと金太はこの施設で妻はもらったそうです。