意味するところ
 

 このところ立て続けに遺跡や景観などをめぐる楽しさを味わって来ましたが、その都度妻を誘っています。妻は、犬の世話などを口実にして断りますが、それはあくまでも口実に過ぎず、自宅から出たくないのが真の理由です。それは、もっと他の喜びを発見してしまっており、そちらに心を惹かれているわけです。
 
 その他の喜びとは、まさに「創造」の喜びです。その1つは人形創作であり、もっと大きいものがあり、それは自然の創造力です。遺跡や景観めぐりなどは、いわば結果を見て回り、想像力をたくましくする喜びといっていいのではないか、この喜びは、次々とより豪壮な遺跡や雄大な景観などを追い求めたくなるように思われます。

 対して妻が手に入れた喜びは、自然を時系列的に観察し続けることによって「自然の創造力」を目の当たりする喜びです。今週は、その良い事例にぶつかりました。タケノコの形態と色彩、そして「この子です」と妻が指さしたカナヘビです。

 「この子よ」と妻に呼ばれて駆けつけると、綺麗なカナヘビを指さしていました。カメラを取りだいしてもらい、妻に手なずけてもらいながら撮影しました。普通は、カナヘビは用心深くて、こうは写真に収まりません。普通ならすぐに姿をくらますはずのカナヘビなのに、妻に好意的に振る舞いました。

 私には簡単にはカナヘビの個体識別など出来ませんが、妻にはなんの疑いやためらいなくも即座に「この子です」と言えたわけです。こうした次第に微細な識別の喜び、いわば姿や形など目に見える面だけではなく、心の触れ合いなどにも関わった喜びにまで踏み込めたら、きっとより濃密で高度な感動を得られるのではないでしょうか。

 要は、創造(クリエイト)は自然の専売特許、と体感させられたような気分にされるのではないでしょうか。その瞬間にしかありえない喜びであり、その場に立ち合わせていないと得られない喜びでしょう。



 

タケノコの形態と色彩

妻に手なずけてもらいながら撮影

普通は、カナヘビは用心深くて、こうは写真に収まりません