悔しい思い
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まずカナヘビを救おうとして手を出しましたが、スルリスルリと逃げられました。そこで、取り急ぎ善後策として、爪を立てやすそうな枯れ木を渡しました。こうしておけば、その気になったトカゲやカナブンなどは逃げ出せるでしょう。まったく生きる道がない境遇に生き物を追い込むことは許しがたい。一縷の希望もつなげない境遇は許しがたい、と私は思います。とりわけ人間以外の生き物は、環境に適応しながら進化し、自然淘汰を重ねながら生き抜いているのですから。 この枯れ枝の仕掛けを用意していた時に、カナヘビはパニック状態になったようで、いわゆる馬鹿力の発揮し、このプラスチックの壁を超えて逃げ出しました。「ならばどうして」と考えました。干からびた3匹のトカゲや、このカナヘビは、あがいていた折に、パニック状態になる前に、なぜ馬鹿力を発揮しなかったのか。 羽を持ち合わせている蛾やカナブンが「どうして死んでいるのか」とも考えました。きっと落ち込んだのでしょうが、その多くは飛んで逃げ出したに違いありません。これらの蛾やカナブンは逃げ出す段になって慌てふためき、パニック状態になって、這い出すことにやっきとなり、力尽きて息絶えたのではないでしょうか。 カナヘビやトカゲは、プラスチック容器の中でもがいている蛾を見て忍び込んだのではないでしょうか。そして、這い出す段になってパニック状態になったのではないか。それはともかく、体力と意欲さえあれば、羽のない生き物にも生き残れるようにしたい。「これからは、ある程度砂が減れば補充することにしよう」と心に決めています。なぜなら、人間のように己は進化せずに、環境を変えてのさばっている動物が、環境変化に適応しながら進化したり自然淘汰を重ねたりしながら生きている他の生き物にたいして失礼だ、と思うのです。少々アワテンボウだ、というだけで無益な殺生をするのは許されない、と考えたわけです。もちろんそれは、人間を軽視しているわけではなくて、現生人類の都合で未来世代を困らせてはいけない、と思ってのことです。現世世代は身勝手に野生生物を殺し、未来世代はその復元に躍起になる、なんて図は滑稽です。 結局、犠牲にした蛾やカナブンは植木鉢の底に敷いて、干からびた3匹のトカゲは立木の根元に埋めて、肥料にしました。 |
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枯れ木を渡しました |