ランチョセコの事例
 

 なぜ日本の政府が、国民に対して「すべての煙を出す私的な行為を制限するに違いない」と考えたのか。それは、独立心に富むアメリカ人がなしとげている事実を思い出したからです。それは、稼働し始めて間がない原発を廃棄したことで有名になったケースです。カリフォルニア州の州都サクラメント市民が運営している電力会社SMUDです。アメリカ人は、このケースを含めて、アメリカを3000からの電力会社を有する国にしていますし、中には市民が独自に運営する電力会社もあるわけです。

 わが国は、問答無用で「原発の再稼働」を目論んでいることでしょう。それは、これまで電力会社の数を限って地域独占させ、国有ではなく何かと融通をきかせる株式会社にしてきたこと自体が物語っているのではないでしょうか。さもないと、せっかく国民を支配する装置として育ててきた電力会社を赤字にしてしまい、目論見を台無しにしてしまいかねないではありませんか。

 サクラメント市民は、稼働し始めて間もない原発を、廃棄処分することに決めました。市民の会社ですから、洗いざらいを市民に報告しなければならず、洗いざらいを知った市民は市民投票で廃棄と決めました。市民の会社の存続問題より、市民の健康的な生存の方を優先しわけです。もちろんそのための覚悟と努力が求められます。その結果、サクラメント市は素晴らしい自治体になっています。この電力会社SMUDの事例は、少々長い文章ですが、以下引用させてください。
 
『次の生き方』 第4章 「エネルギーは大丈夫」 杜の街を目指す より