150人からの若者
 

 この活動は9年ほど前に10人ほどの学生から始まった、とか。私は昨年秋の収穫祭に招いてもらってこの活動を知りましたが、その折は総勢70人ほど。この度の田植え祭には150人からの若者が集っており、お囃子に関わった若者をはじめ、さまざまな動機で駆けつけた人たちを加えると総勢200人ほど。なかには、野菜を主とする乾物の商いを生業とする人も混じっていました。おかげで、「そうであったか」と気付かされることがあり、私はスピーチのテーマを「基本的人権」の大切さ、にしています。

 あいにく当日は、前々日から始まった梅雨の合間の曇天で、肌寒く感じました。また、終了間際には雨がパラツキました。しかし、見事な流れに沿って賑やかに事が運びました。

 思えば昨今、冷凍や配送などの技術やシステムが発達し、野菜を自ら乾燥して保存する人は皆無といってよいでしょう。わが家でも、自ら乾燥保存し続けているのはシイタケとサフラン程度で、エンドウマメやサンショの実は冷凍保存するようになっています。もちろん、サツマイモやダイコンがたくさん採れすぎた時に干して保存しますし、「いざというとき」のために余ったトウモロコシやエンドウマメなども干して残しています。

 母の世代までは、冷蔵庫(氷で冷やす)を持ち合わせていない家庭が多数を占めていました。ですから、旬の地産物と乾物や塩蔵物が常食です。遠海ものの魚や南方の果物などの瓶詰めや缶詰は貴重品でした。その頃は、停電は不便であれ不安ではなかった。

 田植えの準備が整った頃には、昼食の用意をする人たちは、薪でご飯を焚き始め、バーベキューの炭をおこし始めており、煙が立ち始めていました。一帯には、野焼きの跡が点在していました。いよいよ15分ほど与えられた私の時間が近づきました。

 「田植えをするために集まった君たちの感受性に、私は語りかけたい」と口火を切りました。短大時代に「コンビニがなくても生きて行けるンですか」と多くの女子大生に問いかけられたことを思い出していたのです。

 「農作業を、君たちは生産活動と思っているかもしれないが、創造活動だと認識してほしい」と続けました。農作業を「構想」と「作業」に分解し、構想の大切さに目を向けてほしい、と訴えたわけです。その時に、わが家で受け入れたアメリカ人ホームステイの長女を思い出していました。除草作業に当たらせた時に、彼女は「ストラテジー(戦略)を教えてほしい」と問いました。「種を結んだのを優先して抜く。時間があまりそうなら、花をつけたのも抜く」と回答し、「メイクセンス」との応答を得た時のことです。

 「近年の農業の工業化は、農家から構想の大切さや面白さを奪ってきました」。「わが家は年間を通して50種から60種の野菜を露地栽培で育て、生計を潤しています。今年は雨量や獣害など様々な事情を考えてズッキーニやトウモロコシをつくっていません。基本は、いざというときの野菜や燃料の自給力を養うことです。風呂は薪風呂です」

 会場では、昼食の準備で煙が立っていました。「人間は、火を自ら制御し、活かすことによって人間になったといっても過言ではありません」と、話題を変えました。「私は、こうして個人が勝手に煙を立てることを、いずれ政府は制限するのではないか、と恐れています」「なぜなら、薪や炭などで煮炊きをし、煙を立てていた頃は、原発など不要であったからです」「綺麗な空気が吸え、綺麗な水が飲め、安心して食事ができる。これは基本的人権ではないでしょうか」と、問いかけました。

 しかし、世の中が豊かになったと言われるに従って、空気は汚れ、水は有料になり、賞味期限表示が義務付けられ、果ては原発人災まで招いてしまった。しかし、政府は詭弁を弄して、国の威信よりも特定企業のビジネス(原発プラントの輸出)を優先した。人命(何十万人にも及ぶ故郷に帰れない人や子どもの健康に不安を抱きながら故郷に踏みとどまっている)よりも当面の生活(夏場の電力不足解消や原発で潤う地元住民の生計)を優先し、原発を稼働させようとしている。こうしたことを連想してもらおうと言葉を選んでいたわけです。

 それもこれも、私たちが目先の便利や安楽に目を奪われ、基本的人権を自ら放棄していたからではないか、と言いたかった。しかしここには、泥田に稲を植えるために1日を割き、会費制で集った若者がいる。その感受性に、基本的人権の大切さを訴えたい。

 スピーチの後で、大勢の人が声をかけてくれました。なかには、アルバイトで、毎日のようにわが家の前で立ち止まっていた人がいました。今は有名企業の社員ですが、学生時代に観光用人力車の車夫をしており、モミジノトンネルを愛でてもらっていたのです。体力や持久力を要するだけでなく、規律がとても厳しいアルバイト先だと見られています。だからでしょうか、楽しいだけでなく骨身がしっかりした意見を聞かせてもらえました。

 懐かしい顔ぶれとの再会も楽しめました。桑の大木があり68年ぶりで記憶の味と照らし合わせることもできました。近隣を散歩すると、懐かしいノバラが咲いていたり、初めて見る野草に出くわしたりして心を惹かれました。

 往路では、いわゆる捨て犬センターがありました。過日、この捨て犬センターで繰り広げられている現実、死水と電気仕掛けの処理を聞いて胸を痛めています。その夜、ハッピー3世(今のハッピー)と金太もここで手に入れた、と妻から聞いています。

 基本的人権は自ら守るべきであって、その邪魔をするようなら政府といえども許してはならない、と思っています。それは当然のことで、だから憲法で保証されているのでしょう。ここのところをきちんとしていないとの自覚を迫りたかったのです。

 政治家は個人的利得のために国民を甘やかしかねません。その甘えに載る人に付け込むすきを見出し、詭弁を弄して好き放題をしかねない。そしてやがては、その弊害が顕になると、「自己責任」という言葉をシャアシャアと口にして国民を2分し、甘えに載ってきた人を迫害するに違いありません。
 

田植え祭には150人からの若者

お囃子に関わった若者

お囃子に関わった若者

さまざまな動機で駆けつけた人たち

さまざまな動機で駆けつけた人たち

薪でご飯を焚き始め

会費制で集った若者

懐かしい顔ぶれとの再会も楽しめた

桑の大木

68年ぶりで記憶の味と照らし合わせることもできた

懐かしいノバラが咲いていた

初めて見る野草