生きる自信
 

 いつもこの時期になると、私は自分の手で育てた最初の作物の味を思い出します。それは2切れのキュウリの浅漬けにすぎません。しかしそれは、当時すでに飼育を担当していたヒヨコの糞や、焚き火の灰などを肥料にして育てたキュウリでした。

 たしか疎開の翌々年、苗の植え付けについていった私に、母は1本だけ苗を植えさせてくれました。その初なりキュウリが浅漬となり、家族で分けあって食べたわけです。なぜか私は、家族に「食べさせてあげたような気分」になっています。

 その2年ほど前に、私は疎開でこの地に移り住み、先住の近隣の子どもたちに連れられて野山を駆けまわるようになっています。おのずとそれは食べ物を採取するのが目的のようになっており、私は母離れを実感しています。その時の最初の味は「ナワシロイチゴ(野いちご)でした」、ちょうど今がシーズンです。幼少の私は、クリやグミなどには手が届きにくく、身近な笹の新芽を引きぬいて、その根元の柔らかくて白いところを食べる知恵を身に着けています。

 それまでは母が用意した食事か、母が隠した菓子を探しだして腹を満たしていましたが、初めて母を気兼ねせずに、腹を満たす知恵を身につけたわけです。のどが渇けば、小川に首を突っ込んで水を飲みました。怪我をすれば、伯母が薬草を摘んで手当をしてくれました。とうぜん、腹をくだしても、私は大騒ぎなどしなくなりました。

 その後、ヒヨコの世話を始めています。親にねだり、世話することを幾度も誓わせられて、やっと許されたヒヨコですから、雨の日も、真冬も、餌ヤリや散歩を欠かしていません。欠かすわけには行かなかったのです。散歩とは、野に連れ出し、ミミズやバッタなどを捕らせるのが目的です。

 いつしか私は、母が理不尽な叱り方をすれば、家を飛び出して1人で生きて行ってやる、との自信を身に着けています。それは豊かな自然を当てにしていたわけです。

 豊かな自然を守ることが、基本的人権を護る根本だと私は考えていますが、この意識の根はここにたどり着くのかもしれません。