るる説明
 

 消防が突然訪れたことを幸いに、固定の「焚き火場」に案内しました。煙まみれになっている妻の姿や、燃やしているものは剪定クズ、杉などの落ち葉、あるいは刈り取った生草などで、いっさい人工物がないことを見てもらいました

 もちろん、人間の人間たるゆえんも説明しました。人間は火を制御することによって人間になったことや、何万年にもわたって煙を吸う生活に適応してきたこと、あるいは寺院などでは今も、線香の煙をかぶる習慣が残っている、などの説明です。

 また、「見ての通り」とわが家と焚き火の関係を説明しました。つまり、私の代になってからでも焚き火は50年にわたる文化であり、焚き火をせずしてこの庭は、個人の力では創出できなかったことや、維持は不可能であることを見てとってもらいました。つまり、灰も肥料として活かすなどして、家族の排出する有機物をことごとく還元する自然循環型の生活を可能とする庭です。

 短絡に言えば、わが家は母がいわゆる「三反百姓」をすることによって一家を支えていました。その畑地を、私は時代を見越して、自然循環型の生活を可能とするモデル創りの場として活かしました。そして今は、その普及に役立てようとしています。

 その目線で言えば、本来なら消防は、火事になれば有毒ガスを出すような建材や接着剤などの試用をやめさせようと国に働きかけるべきでしょう。せめて、有毒ガスを含んだ煙を嗅ぎ分ける能力を、常日頃から国民が養っておけるように健全な焚き火を奨励すべき立場ではないでしょうか。

 次第に事情をわかってもらえたのか、「事前に電話を入れて欲しい」との要請に変わりましたが、それには応じられない、と応えました。健全な焚き火を何らの形であれ制限されることは、つまり管理下にゆだねることは、人間が備えておくべき基本的な能力の阻害に結びつきかねません。それを強要するなら、こちらも交換条件を出さなければならなくなります。いつ突発するかしれたものでない震災などの折りの生活の担保です。

 「消防車がサイレンを鳴らしながら駆けつけたら困るでしょう」との発言もありました。母が生きていたら困っていたことでしょう。でも私は「しめた」と思いました。社会問題に格上げする好機、と思ったからです。なぜなら、昨年11月13日の当周期「焚き火、ゴミと塵埃」で触れた匿名の投書を思い出したからです。

 実は昨年まで、私は大垣市の「緑化審議会長」を引き受けていました。それは大垣の短大に勤めていた時に、視るに見かねることが生じていたからです。桜並木などの太い木が切り倒されたり、そうかと思うとその場に新しい木が植え戻されたりしていたのです。

 事情を調べると、「毛虫がわいた」、「落ち葉が汚い」、あるいは「木陰になる」などといった理由で、「切り取れ」と市などに訴え出る人がいたのです。匿名で、執拗に苦情を申し出ていた人もいました。当局の担当者は閉口し、あるいは事なかれ主義的な心境にもされたのか、「切りとっていた」のです。かと思うと、「なぜ切り取った」との多数の苦情が寄せられ、「植え戻していた」のです。

 私は「緑化審議会長」を喜んで引き受けました。住民集会を開くなどして社会問題化し、より良き市民生活が営める大垣を目指したかったのです。もちろん他に、「大垣市女性アカデミー」という勉強会も並行して行なわせてもらい、しかるべき社会人教育の場にさせてもらっています。さらに、この受講者から複数を人選し、海外の先進都市に学ぶ修学旅行も実施させてもらい、啓蒙活動の一助にしています。

 こうしたことが評価されたのか、短大を去る直前に大垣市から「市民功労賞」をもらい、短大からは名誉教授という肩書きも与えられ、これが幸いしています。

 都市には新しく移住してくる人が大勢いるものです。都市文化が定着するには時間を要するものです。そのように思って、昨年まで緑化審議会長の役割を与えてもらうのをいいことに、それなりの心構えで役目を果たさせてもらいました。その心構えとは、自己責任能力や人間としての基本的な生きる力を高めあい、1人でも多くの人が賢い市民になれるようにすることです。

 余談ですが、日本はとても脆弱な一面を持った国です。これまでの強みが裏目に出かねない状況です。近年は、その逆を行くような国を求めて、たとえばニュージーランドなどを旅するようになりましたが、つくづくその思いを深めさせられています。

 日本はこれまで、つまり資源や食料が有り余っていた時代を活かして、それらを安く買い求め、製品の輸出で成り立っていました。言い換えれば、自動車や弱電など「あればあるに越したことがないもの」の輸出代金で、「なければたちまちにして生きて行けなくなるもの」を輸入していたことになります。その「なければたちまちにして生きて行けなくなるもの」が枯渇するなどして暴騰しかねなくなっています。

 そうした時代に備える生き方のモデルを創出したくて、わが家は努めてきました。


 

煙まみれになっている妻の姿

いっさい人工物がないことを見てもらいたかった