素晴らしい人
 

 友人夫妻から「家を(車で)、出ました」と電話をくれました。喫茶店のトイレの泥掃除をいかにすべきか、と思案しているときでしたが、「お待ちしています」と答えています。なんとかして約束通りに迎え入れたかったのです。レストランに案内したあと、拝観謝絶の寺院に案内することになっていたからです。過日、この夫妻に連れられ、滅多に訪れることができない歴史的豪邸を訪れています。その時に、都合がつかなかった妻が、代わりに同道を要請した尼僧の寺院です。

 この時点で、淡々と動いている妻に、念の為に、この日の予定を再確認しています。さあ大変、そのような約束は聞いていない、レストランには予約など入れていない、と言い出したのです。あわてました。いそいで妻の目の前で電話を入れ、妻が予約していたことを確認しました。次いで居間まで連れて行き、ダイヤリーの書き込みを見せました。しかし、「いつ書いたのですか」と問います。それでもまだ、私は妻の記憶力が飛んでしまっているとは思っていません。あきれはて、「とにかくそうなっているのだ。この予定にしたって対応しなさい」と言いつけています。

 喫茶店のトイレで洗面台の泥を拭っている最中に、中尾さんが駆けつけてくれました。実は電器工事店にとって1年で最も多忙な時期でした。祇園祭の山鉾を巡航させるために、電線を一晩でとりのぞいたり、貼り直したりしなければならない時です。

 おかげで、トイレの冠水は解消しました。常は匂いの逆流を避けて塞いでいる排水口でしたが、錆び付いていたのを潰してもらったのです。次いで、洗面台からなぜ泥水が吹き出したのかを一緒に調べ、ほぼ原因を特定しました。更に、井戸口に案内し、井戸枠を工房の床上まで足してテーブル状にするか、埋めてしまうかなどと善後策を語らいました。その上で警報ベルを切るスイッチを仮設してもらい、「切ったことを忘れないように」との注意を促されています。ちなみに、警報ベルは中尾さんが見える前に、井戸の水位が下がって切れていました。その後、掃除まで手伝い始めた中尾さんですが、引きとてもらいました。

 トイレの泥掃除と、喫茶室の水の拭き取りは私が担当し、妻には隣室のワークショップの浸水処理を受け持たせました。トイレと喫茶室が、この程度なら「ご勘弁」といえる時点になったと見てとったときは、11時前になっていました。私はパジャマ姿から着替えるために居間に戻りました。その最中に、ご夫妻は到着。先に着替えていた妻が出迎えましたが、夫妻は何らの異常を感じなかったそうです。

 「こんなことになっていたとは」と驚く夫妻を促してレストランに向かいました。妻はにこやかに見送ってくれましたが、このあとで手を焼くことが連続したのです。

 食事を始めた直後でした。妻から「後藤さんが見えたのにどこにいるの」と電話がありました。夕刻に迎えることになっていましたが、朝のうちにキャンセルしていました。その理由が浸水でしたから、様子を見に来てもらえたのです。妻はコトなく引き取ってもらったようです。それは、妻の様子に不審なところがなかったからです。第一妻は、浸水したことさえ記憶していなかったのですから。

 その後20分もせずに、また妻から「どこにいるのですか」と電話がありました。その様子で、ご夫妻は事情を完全に把握です。それは、わが家でお茶を用意している時から不審なことが生じていたからです。妻は3度も「コーヒですか紅茶ですか」とか、ホットか否かと問いましたし、出かけるときにも行き先などを私に質していたからです。

 メイン料理が出た時に、また妻から電話。「帰らないけませんヨ」「お医者さんにお連れすべきですよ」と夫妻に急き立てられました。そこでまず、私は信頼する医師に電話を入れ、質問に答えています。一時的に記憶力を失う病気であろう、との診断でした。夫妻のトーンは「絶対、帰らなあきませんヨ」「すぐお医者さんに連れて行ってあげてください」と強まりました。そこで、寺院に電話を入れ、事情を話ました。次いで、尼僧の勧めにもしたがって再び医師に電話を入れました。医師から「家内にオタクに向かわせています」。私は「そちらに連れてゆくことにしました」。「見せてもらえたら安心です」と語り合い、食事を中断して自宅に引き返しました。

 「どうして私が(お医者さんに)行かないといけないンですか」と妻は膨れましたが、「○○先生にお会いする」といえばニコニコして、夫妻に医院まで送ってもらうことになりました。

 診察は「私は誰だか分かりますか」から始まり、さまざまな反応を調べてもらいました。妻は返答にきゅうすると「あがっているのかしら」とまるで子どものようにテレました。「念の為に」と、血液検査、検尿、あるいは脳の断層写真、と進みました。電話での見立て通りに一時的に記憶力を失う症状でした。その再発率(は低いと)も知りました。

 こうした検診の途中で医師の夫人は取って返してきて駆けつけてもらい、診察が終わるのを待って「日曜日でよかった」といいながら、わが家まで送ってもらいました。

 そのごも妻は、さまざまな言動を示しました。そうした言動から、妻のよいところや弱いところを垣間見ましたし、私は己の思わぬ一面も見たように感じました。

 かねがねから妻に、「先にボケたら蹴り飛ばずゾ」と私はヒドイことを言って来ましたし、妻もその覚悟をしていたようです。しかし、私はどうやら、不可抗力の人にはそのようなことができないようだ、と気付かされました。いわんや妻には、このたびの妻の言動から、そのようなことをしかねないとの不安は心配無用、と感じさせられています。

 それにしてもくやしいのは、このたびの工房の床上浸水は防げていたかもしれない、との思いが残ったことです。妻が正常であれば、あるいは水のかい出しなどの作業を妻に専念させ、判断を要する行動を私が受け持っていたら、といったような仮の話です。

 それはともかく、火曜日から、妻は喫茶店を切り盛りする仲間やホームビルダーの水島さんに来てもらい、水難の後始末や再開の準備に当たりました。その過程で、妻は2つの決めごとをしており、私は賛同しています。水島さんに大型の「スチーム式掃除機」を譲り、妹に応接セットや白木の食卓セットを譲ったのです。

 スチーム式掃除機はプロ用で、妻にしては珍しく、セールスの巧みな試用に感心し、買い求めたいと言った高価に品でした。応接セットは嫁入り道具でしたし、白木の食卓セットはノールウェイ製の6人がけで、訳ありでした。私が初めて彼女の家を訪れ、その家族と共に食事をした家具ですし、結婚後その兄から届けられたものです。

 なお、火曜日の夜には、自宅シアターで『シャーロットのおくりもの』を楽しんでいますが、それは後藤さんのおかげです。日曜日の代わりに訪ねてもらった折に、足痛で動きにくそうな2人と見てとり、大安売りのDVD再生機の紹介と、車での送り迎えつきで買い求めさせてもらえたのです。この観賞は妻の念願で、友人から妻がDVDを借りていました。てもらえ