初めての口争い
 

 たわいのないコト、と笑われてしまいそうですが、私はシンケンです。このたびは夏野菜の収穫の仕方で口争いをしたのです。

 日曜日の朝食に出た焼いた万願寺トウガラシから私は疑問をいだいています。シーズン初期なのに、あの採れ初めの旨さがなく、ひねており、種が硬くて色も深い緑色ではありません。キットまとまった数にしたくて、収穫を遅らせた分があり、それを混ぜたのだろう、と考えました。

 火曜日の夕刻のことです。昼前に妻に指摘され「ゴメン、忘れていた」と(キュウリ組んゴメンと)詫びた失念の埋め合わせにとりかかりました。第4時キュウリの支柱づくりです。この畝の近くにパプリカ(カラーピーマン)や万願寺などトウガラシ類の畝や、1株のチェリートマトなどが育っています。それらの側に近づいて驚きました。採り忘れたチェリートマトやトウガラシが沢山ぶら下がっていたのです。

 その時に妻が近づいて来ました。犬の散歩です。パーキングは温室を挟んでこれらの畝の東側にありますが、そこで金太、ハッピー、そしてケンの順番で散歩させていました。このときに、まずケンカの口火を切っています。

 妻は、なるべく大きく育てて収穫しようとします。その数が多すぎると翌日に回します。夏野菜は収穫期に入ると次ぎ次ぎと育ちます。やがて収穫遅れが出ます。しkし、妻は捨てられません。40年来のクセです。

 「何度言ったらわかるのだ」と怒鳴ります。「その言い方はないでしょう」と膨れます。「当初の5年や10年は怒鳴らなかったはずだ」

 今回は皮肉を言ったはずです。よけいに膨れます。

 実は、もうこうしたケンカをせずに済ませられそうだ、と思っていた矢先ですから、私はガッカリです。妻は、チョット強気になる何かがあったのでしょう。

 私の言い分は、向う1週間ぐらいは見通しなさい、と言いたいのです。「見通して採りなさい」と言ってきたのです。夏野菜は、トマト以外は、完熟したのは食えたものではないし、採り頃を過ぎる刻々とまずくなります。むしろ、若採りのほうが美味しい。また、採りごろを過ぎた実をつけておくと、木はよわります。

 最盛期に入り、採れ過ぎそうだと見て取ったら「若採りをすること」。採り忘れが出たら切りとって捨て、肥料にして(活かして)やれば良い。それが私の言い分です。

 しかし、妻は肥料にするより、佃煮にするなどの活かし方がある、と考えます。こうした考え方をする人は、手間隙を惜しまない人が多く、どんどん自分を追い詰める責務を自ら抱え込んでしまいます。そうした人を大切にすることで、私は組織の運用をしてきました。それが、28年間のサラリーマン時代や、10年間の教職時代を、つつがなく過ごさせたのだと思います。そうと分かっているだけに、無理をしてもらいたくないのです。

 「わたしは説明をしたかったのです」

 「40年も同じ事を言っているようでは説明とは言わない」

 「……」

 「屁理屈だ」と、そこでまた膨れます。

 そのような次第で、一過性健忘症の間に示した妻の良さを思い出しながら、長々と時間をかけて、私が説明役にまわった次第です。