少し反省
 

 久しぶりの下痢。講師に失礼と思いながら、途中で3度も中座。久しぶりで下痢の辛さを実感しました。早く席に戻らなくては、との焦りがマズかったようです。それは、いつでも「この民宿では」トイレに駆けつけられる、との油断がそうさせたのでしょう。サラリーマン時代は、よく下痢をしましたが、次の特急までの時間を活かし、再度トイレに飛び込む、なんてことはしていません。

 2度目のトイレで、この民宿の人気について考えました。かなり高音のオルゴール音のようなメロディーが流れていることに気づいたからです。この民宿は人気があり、いつも大学生などの若い人のグループで賑わっています。それはどうしてか、と考えたわけです。

 アイトワ塾では20数年来、合宿の2回に1回ほどの割りでこの民宿を愛用しており、その繁栄ぶりを時系列的に承知しています。当初から見れば、施設は3倍ほどに継ぎ足されており、風呂も当初は一人用の家庭ブロから、今はゆうに数人で使えます。

 その風呂は、いつもトイレでオルゴール音が流れるようになったように、いつも湯が溢れています。トイレや廊下などでは夜通し明かりが灯っています。2階建てで、民家を継ぎ足した施設ですから、暗くては問題があるでしょう。廊下や階段が入り組んでおり、それがまた楽しいのですが、とりわけ高齢者にはこの常時照明がなければ大変でしょう。

 猪鍋が楽しめる冬の暖房はそれほどではありませんが、シャモ鍋が売り物の夏の冷房はとても効いており、暑い最中にたどり着いたときは、おもわず極楽気分にされます。今回もそうでした。ところが、ゆったりと風呂を使い、Tシャツとショートパンツに着替え、夕食をとり、ビールをコップ3杯ほど飲んだころから腹の調子が怪しげになりました。その時点で講義が始まったわけです。やがて絶えられなくなったのです。

 3度目のトイレで考えました。節電余地が殆どないわが家と比較し始めたわけです。アイトワの居宅はまだしも、不特定多数の人たちも迎える喫茶室や人形展示室のありように思いを馳せました。とりわけ熱いさなかに来店した「お客さんに、ガッカリされていないかナア」と考えたわけです。

 現実問題として、来店客が1割増えるなら、冷房や暖房をガンガンしても採算はむしろ良くなるでしょう。商社にいたことがありますから、損益分岐点でいえば、再考の余地は多い事がよくわかります。でも、直ちに反省です。「なんとご説明すれば良いのですか」と言わんばかりの妻の怖い顔を思い出したからです。

 日本で最初の「禁煙喫茶店」にしたときに、こまめに節電に努めることも話合っています。それを支持してくださる大勢の愛煙家はもとより、アイトワ塾生の愛煙家にも申し開きのしようがありません。従来路線を踏襲することにしました。

 そう考えると同時に、このたびの下痢の理由にも思いを巡らせました。このたびは、心身がともに健康な場合の下痢でした。体調制御のための下痢、つまり食べ過ぎを排出する下痢ではありません。腸が「健康のために」とばかりに判断して、過食分を排泄する下痢がありますが、それではありません。半断食以降、そうした過食をしなくなっています。

 ならば、と考えました。神経性の下痢?。それも違います。勤め人時代はいつもこれに苛まれていましたから分かります。停車駅という駅のトイレの位置、その数や様式、あるいは込み具合などを把握していたものです。

 わが家では、イヌの中にも、神経性の下痢がこうじて血便まで出したのがいます。先代のハッピーです。そうと気付かされてからは、その原因を取り除いており、15年余も生きてくれました。ヒトをよく噛むイヌで、前科7犯を重ねました。妻の母などは「お手」といって手を差し出し、その手を噛まれ、3針も塗っています。

 もちろん、腸に問題がある場合や、食べたモノに問題がある場合もあるでしょう。近頃の医者は、下痢といえば、腸に問題がないか、食べたものに問題がないか.と睨みがちですが、それはマイナーな原因ではないでしょうか。

 それはともかく、下痢しやすいカラダのおかげで、私は通算35年余もの勤め人時代を無事に終えました。通勤途上での下痢を恐れて1時間余も早く家を出るようにしていたからです。妻は、あのまま勤めていたら「きっと死んでいたでしょうね」とよくいいます。その頃から思うとたるんだカラダになったものだと反省です。