疑問を抱き
 

 ロンドン・オリンピックの最中であったことが関係していたのかも知れません。期待する選手の活躍が見たくて、ついうっかりテレビのチャンネルをひねり、そのまま見続けてしまい、何か釈然としない心境にされていたからかもしれません。

 水泳や柔道の決勝戦で、「行け、行け」「Go Go」と叫んでいる人が映し出されました。故郷の応援団も熱狂です。その光景を見ながら、どこかで見た光景だと思いました。不謹慎な話ですが、それは幼い頃に見た出征兵士を送る戦時中の光景でした。多くの人が熱狂していました。そうだ、映画で見た光景でもあった、と思いました。古代ローマをテーマにした映画の場面です。剣闘士の死闘に熱狂していました。

 柔道のあり方には疑問をいだきました。判定の旗があがって初めて勝利を知り、熱狂する選手がいました。何かがおかしい、と思いました。「1本勝ち3本勝負にすれば」とさえ思いました。本当に結果主義で良いのか。拝金主義かのごとく、スポーツの世界でも、拝メダル主義に不安を感じさせられました。

 幸いなことに、ビジネスの世界では光明が見え始めています。わが国では、能力主義がひととき叫ばれましたが、下火です。案の定、と思われることが次々と生じています。アイトワ塾が始まった当時の思い出もよみがえりました。短絡に言えば、いまやときめく「百貨店やスーパーが、あるいは大手商社や銀行が次々と潰れる時代になるのです」とも語っていますが、その通りになっています。やがて、大手企業はことごとく消え去るでしょう。

 大手のなかには、恥ずかしげもなく「コンプライアンス」を口にし、その遵守を口にしますが、それは文字通りの最低です。今日では「法の罪」より「徳の罪」が問われているのです。それに気づいていない企業家はまだしも、政治家や官僚が目立つために、日本は沈滞しているのです。若者の希望をなくしているのです。

 次代は、少なくとも、投資効果とか損益分岐点、効率とか能率、あるいはノルマとかマニュアルといった言葉を闊歩させ続ける大手企業をことごとく消え去らせることでしょう。市場を漁場のように位置づけ、消費者をターゲット(標的や獲物)にするような考え方や、そうした考え方のもとに、株主に貢献するなんてことは時代遅れです。

 こうした考え方は、このたびの原発事故や、その再開にたいする政治や企業の態度で、賢い国民は辟易としているはずです。政治や企業のそのような狭い思考では許されたよいはずがありません。そんなことを許し続けている国民が多い国では、若者は希望のいだきようがないのではないでしょうか。