本当の豊かさ
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かつてはモノの所有や、そのモノが他の人のモノと比較して優っているとかにこだわっていた時代がありました。しかし、いつしか、私はそのようなことに躍起になることが虚しくなり、むしろ貧しいこと、不幸せなことだ、と思うようになっています。少なくとも、その渦には巻き込まれないようにしたい、と願うようになっています。 そこで、このたびの初稿ゲラ校正の説明不足との指摘に対して、注釈を次のように書き改めてみようかナ、と考えています。「工業社会は、自然破壊を進めたり資源を枯渇させたりしながら、より高価なモノを持ちたいとか競争に勝ちたいなどといった相対的な豊かさや幸せ感を蔓延させた。他方、水や空気がきれいとか生物多様性に富むとかいったことを愛でるそれら、つまりすべての生き物や未来世代とも共感できる絶対的なそれらもある」 かつて私は、「人と地球に優しくなる」ことが必要だと思い、『人と地球に優しい企業』という一書の誕生に結びつけたことがあります。その時に、地球は人が優しくなれるような対象ではなく、「人と地球に優しくなる」といった考え方は地球に対して不遜である、とのご指摘を受けたことがあります。 『人と地球に優しい企業』とは、裏返していえば、「自分たちには厳しい」が、その厳しさが従業員の誇りに、経営者の自信に、そして社会にあっては存在意義に結びつけなければいけない、ということを意味していました。それが、社会に本当の豊かさや幸せをもたらせるであろう、と考えていたわけです。 季節が巡ってきたら鳴き始める野の鳥や、咲き始める野草。耳を澄ませば聞こえてくる小川のせせらぎや竹の葉が風にそよぐ音。暦どおりに繰り返す好天と雨天。それよりも何よりも、想いを同じにする友との、あるいは同じ想いを願う人との出会い。 間違っても、脱原発の必要性を口にしていたかと思うと、その口でベトナムなどへの原発輸出の必要性を口に出来る人にはなりたくない。そんな人が大臣を務められる国には本当の豊かさや幸せは縁遠い、と思われてなりません。 |