建物のあり様」
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彼女は当初、丸くて大きなキノコのような建物を提案しました。そのころから世の中には好況感が漂い始め、やがてバブルにつながってゆきます。他方、私たちは自然環境に関する問題意識の必要性を提起し始めています。 当時、勤めていた会社では社長がバブルを囃子し始めます。やがて、好況をいいことに、気鋭の建築家を登用し、コンクリート打ちはなしはまだしも、ハメ殺しの窓や自動ドアーなどを多用した建物を幾つかつくらせ始めます。 私は建築の未来志向を、私的であれ鮮明に打ち出したくなりました。やがて彼女と合意できるプランが固まり、1年余りかけて、1986年の3月に地下構造部分を伴った建物が完成しました。人形工房(今はワークショップになっている)は地下部分にして、薪ストーブを設置しました。上階に書斎を設け、その煙突が貫くようにしました。薪を私が用意しておけば、妻がストーブを焚き、その余熱が書斎をあたためる計算です。 こうした過程で、過去のバブルの事例を世界に求めてもいます。オランダ大使館も訪れました。オランダが世界の富を一国に集めたような過去に生じさせたチューリップ事件を調べたわけです。狭い国土のオランダなのにチューリップの球根ではなく、どうして土地が投機の対象にならなかったのか、と質問しました。返事は「それはWind trade(風の取引)だから」でした。この下りは1990年の『人と地球に優しい企業』に盛り込んでいます。翌1991年にバブルが弾けたことになっていますが、不況感が世の中に行き渡るまでには相当の月日を要していました。 その後、彼女とは、建築家と施主として関係が10年余にわたって続きます。数度にわたって増築や改築に関わってもらったからです。最後の改装部分では、彼女は合板はもとより、合成樹脂の絶着剤をいっさい用いず、ムク材の木材を用いています。もちろん予算の関係でフシが随所に目立ちますが、それが「むしろキレイ」といってくれました。 |