自力本願の外化
 

 「男はどのような女性に、命がけで支えてもらえるか」「それで人生が変わるのではないでしょうか」とも語りました。私は、デザインとは、「思想の顕在化」「未来の顕在化」、との意見の持ち主です。完成時や未来を想定して、色や形などの現実に固定するわけですから、思想や未来の顕在化でしょう。その意味でいえば、こんにちでは女性の予感や直感の方が、男性のそれらより敏感なように思われる、と言いたかったわけです。

 かつて解剖学者の養老孟司さんが「都市は脳の外化」と指摘したことがありましたが、その折に私は共鳴しています。そして、隅から隅までデザインされた都市が、余計に怖くなったり、つまらなく感じたりしたことがあります。それは、阪神大震災の折に、「デザインの敗北」と題したエッセーを記したことがあったからです。

 逆に、いわゆる田舎の人が、「ナーンモないところです」と田舎を卑下した時に、悲しくされています。ヒトごときがいなくても、さまざまな創造物が現れる自然豊かな空間に、無限の可能性を感じたり、それを見出したりできそうに思っているからです。

 幼児期に私は、その都市の1つから田舎に疎開しており、三つ子の魂をリセットされたようだ、とズーッと思い込んできました。そして、そのリセットに大きく関わったのは、間借りした家の主であった伯母を始め、村で「七変人」と呼ばれていた人たちと「敗戦」であった、といつしか気付かされており、今もそう思っています。

 過日、『よく分かる環境教育』という1書の初稿ゲラの校正に取り組みましたが、やっとのことで七変人の本質にたどり着けたような気分にされました。

 私は七変人と敗戦によって、他力本願であった三つ子の魂を自力本願のそれにリセットされたわけだ、少なくとも、自力本願に憧れる性格にされた、と気付かされたわけです。裏返して言えば、七変人は自力本願であったがために戦勝にわかず、敗戦で落ち込まず、変わり者扱いされたのでしょう。

 伯母は物資不足を嘆く前に、干し柿を作る時に、むいた皮を干し、甘味料にしました。私の怪我を、身近な薬草で治しました。「夏から始めて毎日続けたら、寒くないよ」と私の質問に応えながら、真冬に戸外で湯を使わずに行水していた表具屋もその一人でした。こうした七変人の教えは、敗戦前後などおかまいなしに、態度や姿勢をいっこうに変えず、自然の懐に抱かれ、己の力でひょうひょうと生きていたわけです。

 七変人の教えのおかげでしょうか、私は人為にさほど驚かない性格にされました。例えば、万里の長城を見た時も、ピラミッドを見た時も、驚きや感動よりも、むしろおぞましさを感じています。きっとそれは、「思想の顕在化」や「未来の顕在化」のでんで言えば、「思想や未来」と「その顕在化に直接関わった人たち」が別人であったからでしょう。

 かつて顧問をしていた会社が、数名のヤクザに押しかけられたことがあります。その折に、社長が複数の新入社員に「会社には入れるな」と指示しました。見事に阻止しました。そのときに社長が「近頃の若者は強いな」と、感心しました。私はおぞましさを感じて、「社長の命令に弱いんです」「社長の責任は重いんです」と応えました。

 それはともかく、橋本一家が構想し、創出した施設、手作りの自宅や道場は、正真正銘の自力本願の外化だと思われたのです。