随所ですれ違っていた人
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2著をもらい、早速読みふけりました。『私のファッション屋時代』と『パリ画集 21世紀始まりの頃のパリ』。 「そうであったのか」との懐かしさがこみ上げてきたり、思い出が色濃く残るパリの街角が脳裏によみがえったりしました。同時に、まさに自力本願の人だ、と思いました。 私より4年先に生まれ、大学では物理学を専攻していながら、やがて1963年に私費留学生として渡仏。以来パリ在住。その年に私は、荒れ野原に小さな家を建て、終の棲家にしています。 赤木さんは、その後、ジャーリストとしてファッション業界にかかわりながら、今は数々の栄誉に輝く芸術家。その過程で、私の大学時代の恩師・山田新一。社会人として所属した伊藤忠、伊藤忠ファッションシステム、あるいはパリ伊藤忠。私が仕事上で関わった繊維業界紙、パリのオートクチュール界、あるいはNY大丸などと、さまざまなところで接点があったようです。 「これまでに出会っていなかったのが不思議なほど至近距離ですれ違っていた人」との親しみがこみ上げました。一見では変化に飛んだ計り知れない足跡だけど、芸術を極められた今の姿に言い知れぬ共感を覚え、ひきつけられました。きっと確かな一本の太い糸をたぐるように、信念を貫いた人であろう、とお見受けしました。奥様も何とも魅力的。 こうした人には、アイトワの庭を無性に訪ねていただきたくなるのが私の病気。なぜなら、自力本願の人と他力本願の人で、その見方がはっきりと二分されるけど、それらがはっきりした人にはこちら側の喜びや楽しさに、予期せぬ多様性を与えられ、とても充実した時間にさせてもらえるからです。 とりわけ自力本願の人と思われる人は、「思想の顕在化」や「未来の顕在化」の問題か。完成したモノやコトに反応するのではなく、元となった思想や、構想した時の未来のありように、あるいは結果に至る経過に目を向けてもらえがちですから、ゾクッとさせられます。 |
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『私のファッション屋時代』 |
パリ画集 21世紀始まりの頃のパリ |
パリの街角 | パリの街角 |