東日本の被災地復興に焦点を絞っていた
 

 実は、前日に、ある機関に500字余りの原稿を送ったところでした。その趣旨の紹介から始めました。311の被災地の復興を手始めに、これから覚悟しておくべき巨大地震を、まるごと日本を生まれ変わらせる好機として腹をくくってかかるプランです。その原稿には「夢でしょうか 若者の希望です」との題を与えていますが、この4人の学生にも好評で、確かな手応えを感じました。

 この原稿は、ある人達を連想しながらしたためました。脱原発を願って静かなるデモを繰り返している人たちです。きっと、後世の日本人は、その多くが「あの時が日本再興の好機であった」と振り返るに違いないと想い、その目指すべき方向をしたためました

 工業社会の延命策のような考え方では、最早日本を衰退させるばかりです。資源枯渇期を迎えた資源小国の日本は、おのずと進むべき方向を改めなければいけません。しかし、この原稿は採用されないのではないか、と心配しています。なぜなら311が生じた折の、とりわけ原発事故に関する報道が、外国での報道と異なり、とても歪められていたことを思い出したからです。戦前の日本の重苦しさを思い出したからです。

 たとえば、菅首相は、東電に対して情報の開示を厳しく求めたりしていますが、結局は袋叩きにされました。東電は、即答しうる準備を怠っていながら、「混乱させられた」という屁理屈にすりかえました。その準備をさせなかった自民党は、いらぬおせっかいを焼いた、とばかりにまくし立てました。まるで戦前の軍閥と軍属の連携プレイそのものです。わが国は、太平洋戦争の二の舞で、経済戦争でもズルズルと敗色を濃くさせるでしょう。

 敗戦前に、敗戦後の高度経済成長が連想できなかったように、ネオ軍閥と軍属には、あるいはゲンパツムラの人たちには、次の確かな繁栄が連想できていないのでしょう。いわば欲望を解放するうたかたの繁栄から、人間を解放する確かなる繁栄への切り替えです。311は、新たな日本に生まれ変わらせ、新たな繁栄への道標となる好機であることにまったく気づいていないのでしょう。