2種に分別できそうな罪
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法律は大切です。守るべきだと思いますし、反すれば罪として罰せられて当然だと思います。しかし、大いなる疑問も抱いています。 英語では罪を2つの言葉で使い分けています。法律上の罪を意味するクライム(crime)と道徳や宗教上の罪を意味するシン(sim)です。クライムは、時の権力が運用する法律に基づく罪です。私のこうした意見も戦前なら「傲慢である」とばかりに罰せられていたことでしょう。他方、シンは、時の権力といえども真摯に受け止めなければ人々をうまく束ねられなかった約束事をやぶった時に背負う罪です。今もこの約束事を真摯に受け止めなければ人々をうまく束ねられないことでしょう。 この半世紀、わが国はここらあたりがガタガタになっているように思われます。たとえば、景観や環境の破壊。京都では、景観や環境の破壊を規制する法律や条例が作られるたびに、それらの破壊が加速されてきました。堂々と裏を潜る人が現れるようになったのです。それまでは世間の目を気にして控えられていた破壊行為が、許可を得た行為ということで見逃されるようになったのです。その許可が、よく調べるとインチキであったり、錬金術のスベに生かされていたりしてきたのです。 この1日に、東京駅舎は500億円かけて再現なりましたが、その500億円は空中権の代金でまかなったとか。この空中権のあり様に私は賛成だし、良かったと思います。問題は、京都でのこの反対で、建ぺい率の扱い方が、矛盾だらけであったことです。 たとえば、かつてわが家の一帯は、建ぺい率は1割(10%)でした。つまり、100坪の土地には10坪の家しか建てられなかったのです。そして、10坪の家を立てると、100坪の土地がすべて宅地に地目変更され、課率が上がりました。私はこのルールに賛成です。これを厳格に守っておれば、少なくとも景観の破壊はおおいに免れていたでしょうし、地価の高騰も控えられていたに違いない。ところが、これが不正に運用されてきたのです。 500坪の土地に50坪の家を建てた人が、その後400坪を切り売りすると、この400坪は更地にされ、その地を得た人は40坪の家を建てられた。 200坪の土地に、100坪の家を建てたい人は、隣接地を800坪借りれば建てられた。そして、この800坪が地主に返されると、80坪の家を立てることができる土地になった。このからくりは、許認可に関わる人が見て見ぬふりをすることでなりたってきた。 こうした問題に、奮然と立ち上がったのが常寂光寺の前上人でした。それでも、わが家の一帯は80%が私有の田畑でしたが、今や私有の田畑は全てなくなり、100軒以上の家が立ち並んでいます。もちろん、家を建てた人はこうしたカラクリにはかかわっておらず、手なれた業者の錬金術であったわけです。 最後の田畑は、景観保持のために京都市が買い取っています。問題は、こうした目溢しのたびに、税収が膨らんでいたことです。損をした、と思う人が、当時のお上人の他にはいなかったことです。当時のお上人は公共の見逃しがたい損失と見ていました 公害は身体への侵害だと気付いた人の多くまでが、景観の破壊は精神への侵害であるとは思っていなかったわけです。景観の破壊は環境破壊に結びつきがちですが、それが錬金術に活かされたわけです。たとえば、清らかな小川を汚せば汚すほど、ボトル入りの水がガソリンより高く売れる世の中にできたわけです。GDPの増大です。 それはともかく、法律は2種に大別できそうです。簡単には変えられない国民の合意を要する憲法と、国民が選んだ国会議員が行政上の都合で変えうる法律です。とりわけ後者は、いわば時の権力の好き勝手で左右されかねません。 国民としては、なんとしてもせめて現憲法を守ってほしいところですが、しばしば国会は現憲法をないがしろにしてきました。その最たる例は9条でしょう。過日、ないがしろにせざるを得なかったときの首相、吉田茂の苦悩をNHKがTV番組で報道していました。 少なくとも、国会議員には遵法精神が求められますが、元首相小泉純一郎は、己の行為に対して高裁が下した憲法違反との判決に「おかしな法律だね」とうそぶきました。水俣事件では、国が最高裁の判決をないがしろにしています。 それはともかく、私には罪は2つに分けられそうに思われるのです。時の法律によって罰せられる罪の他に、倫理的に罰せられるべき罪があるわけです。そして、法律で罰せられるべき罪よりも、後者のほうがより大きな罪であるように思われるのです。 時の権力がその都合で定めた法律で罰せられる罪(crime)も軽んじてはいけませんが、もっと軽んじてはいけない罪があるわけです。これを市民が軽んじれば、市民を束ねるべき人たちは錬金術に活かしかねないのです。 その典型例は、自然の摂理を破って平気の思考でしょう。それがGDPの増大化につきまとっていましたが、家族や地域の共同体を破壊しましたし、人々の心をバラバラにしたり、自然破壊を進めたりしたのではないでしょうか。 |
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