国も早めに手を打つべき
 

 今の日本はガタガタです。一刻も早く建設的な手を打って、世界から尊崇の念を持って見てもらえる国にしたいものです。その手はあります。いわばニューディール政策のように、当面の経済を立て直しながら、しかるべき未来に備える手があります。資源小国であるだけに、打たなければならない手があります。それが打たれないと、国民の間で焦燥感が蔓延しかねません。

 うっかりすると、肝心要のことが疎かにされ、あらぬ「鬱憤バラシ」に走りだしかねません。日本が太平洋戦争という暴挙に出たのも、ドイツがヒトラーに陶酔したのも、鬱憤バラシのような一面があったからでしょう。要は、焦燥感にかられていた国民を扇動し、暴走させた事例です。ナショナリズムで煽った保守主義の暴挙ではないでしょうか。

 今や日韓も、日中も、穏やかではありません。その上に、太平洋戦争の首謀者を「尊崇の念」であがめるために、と堂々と口走る人も現れました。この尊崇された人達は、日本を暴挙に走らせ、その幕引きを怠り、その最後の3ヶ月で、原爆被害者まで出させました。

 当時、このやり方に異を唱える人は、つまり和平を唱える人は、過激派と見なされ、「傲慢である」とばかりに虐殺さえされました。これと同じような荒っぽい発言を堂々と口走る人が既に現れています。あるいは伝統文化や豊かな自然も踏みにじりかない人が現れ始めているのも事実です。

 私にできることは小さなモデルを実践し、先手を打てば焦燥感など溜めなくても済むことを個人的に演じてみること程度です。しかし、国には政府があります。地方自治体もあります。その首脳には首脳の役割があるはずです。

 いわばニューディール政策のように、当面の経済を立て直しながら、しかるべき未来に備える手があります。資源小国であるだけに、打たなければならない手があります。きっと、世界から尊崇の念を持って見てもらえる手があるはずです。

 その私なりの1案は、先週の当週記で触れました。グランドデザイン「夢でしょうか 若者の希望です」。今の日韓や日中間で燻らせている小競りあいに私は賛成できません。よしんばそこで得られる利益よりも、もっと大きな利益を求めるべきです。