喧々諤々
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「気骨」と「これから迎える時代」をテーマにしたアイトワ塾でした。時代は「気骨を求めている」と私は考えています。気骨といえば「明治(時代)の人を連想する」との意見があり、「なるほど」と思うと同時に、過去を懐かしく振り返りました。 私は明治生まれの両親のもとで育てられましたが、ご多分にもれず、両親の躾をうさんくさく思っていました。説明抜きでゲンコツを飛ばす父や、2尺ザシをムチ代わりに用いる母にいつも反抗し、叱られていました。「へりくつを言いなさんな」と叱られたわけです。 母はしばしば「歳をとったら分かる」と言っていましたが、いつしか私にも両親の言い分が理解できるようになっており、今では懐かしく思い出されます。まず、処世術の1つを教えたかったのでしょうが、わたしにとってはもう1つの教えの方に共感を御覚えています。それは自然の摂理でした。自然の懐に抱かれ生きている間に、机の上では絶対に学べないことがあると気付かされるようになり、両親に感謝するようになっています。 その第一は「もったいない」の心でした。第2は「自力本願」と「利他の心」を大切にせよ、と教わったことです。その是非は別にして、「お天道様が見てござる」との言葉とともに、厳格にこれらの心を授けようとされたものです。 今の世の中では逆に、「他力本願」と「利己心」が蔓延しているのではないでしょうか。それらが、昨今の諸悪、たとえば自然破壊、資源枯渇、家庭崩壊、はては南北問題などの諸悪の根源であったように思われてならないのです。それでは人々を孤独にさせてしまい、貧困に追いやってしまうのではないでしょうか。もっとも、だから金満家になってという人もいるデシュが、きっと心は貧しくなっているはずです。何とももったいないことです。人生がモッタイナイと思います。 要は、「他力本願」と「利己心」の人が大勢集まって合議し、合意できることがあるとすれば、その時には必ずといってよいほど、上にあげた諸悪を結果として顕在化することに結びついていたはずです。そしてそれは、未来世代との共感を不可能にさせかね内容に思われた心配です。「おじいちゃんの時代に、日本からカワウソがいなくなったんだって」などと悲しませかねません。 こんなことを考えている間に、塾生は次々とさまざまな意見を戦わせていました。そして、それなら「銀行強盗の方がよっぽどマシですね」との発言があり、誰ひとりこの発言を咎めず、首を縦に振っていました。もちろん私は、口を挟みました。 「私も同感です。ただし不用意にその発言はしないこと」。金銭に換算しがちな「拝金思想から見たら、とんでもない発言と誤解されかねません」と続けました。 この他の塾生の共感を得た発言は、そのモノにともなう人間のココロを天秤にかけて発されていました。つまり、どのような経済的資産も人間が造りだしたものに過ぎない。そのモノを創出する人間のココロを蝕んだのでは元も子もなくなってしまうではないか、との危惧の念が発しさせた発言でした。 |
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