もったいない
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工業社会が犯した失敗の1つは、一生懸命になって競争とか前年対比、あるいは効率などに躍起とさせ、しかもそれらを目先の金額換算で追求させ、肝心要の要素を蔑ろにしさせたことだと思います。肝心要の要素とは自然の摂理と人の心です。 過日迎えた仏教大学の学生にも「この心を教えたかったンだ」とその日の出来事を振り返りました。また、週末に迎えようとしている同志社大大学院が派遣する人たちにも、この心を教えたくて、夜な夜な剪定クズにブルーシートをかけたりしていたわけだ、と気付かされ、苦笑しました。裏返していえば、それは真の合理的な心、うさんくさくいえば、「より良き自然を後世に残そうとする心」がそうさせたように思います。 別の言い方をすれば、これまでは経済的資産を追求するがあまりに、自然や人を疎かにしていた嫌いがあります。それは実にもったいないことです。野生動物は経済的資産などには関係なしに、豊かな自然のもとで、仲間を大事にして暮らしており、環境破壊や資源枯渇などの問題を生じさせていません。 私たちは逆に、野生動物が生きてゆく基盤にしているそれらを疎かにして、経済的資産の追求に明け暮れていたようなところがあります。わが国は、欧米に次いで工業文明に踏み出した国ですが、追いつき追い越そうとすることに躍起になり、その悪しき典型例担っていたように思われてなりません。その後を中国などは追っているのではないでしょうか。要は、悪しきモデルにはなりたくないもの、と言いたい。 それはともかく、過日、仏教大学の学生に、キュウリやツルムラキが絡みついた防鳥ネットを、理論的にいえば、いつまでも使い続けられる方法を教えました。それはヘチマの垢すりの作り方をヒントにしています。腐食する時間差の利用です。防鳥ネットは腐食しないプラスチックですから、この方法ならば、その持てる利点をいつまでも活かし続けられるはずです。もちろん、腐食させた水は、肥料として活かします。 ドンさんに薪割りをしてもらいましたが、その折に出たクズをきれいに拾ってみせました。それは決して経済面で言えば採算が合いません。しかし妻は、原発でつくった電気で沸かした風呂なんて真っ平御免派ですから、それで沸かした風呂をとても喜んでくれます。それよりも何よりも、どのような時代になろうとも、同じように妻に風呂を楽しんでもらえそうに思えますし、どのような時代になろうとも私も楽しめそうに思うのです。 大学生なら理屈ではわかっていることでしょうが、体験を伴った学習でないと、私の経験では「いざというとき」に体は動かないと思い、一緒にやってみました。そして、問題は農家を、採算性という理屈で、こうしたネットを使い捨てにさせていることだ、とその真の問題点を説明しました。農家を次第に怠惰にさせ、「気概」や「気骨」を失わせかねない方向に誘っているように思われて心配です。 過日後藤さんは海詩(ミーシャ)に良いことを教えてくれました。海詩(ミーシャ)が訪ねてくれた日は日曜日で、アイトワ塾生の後藤さんに来てもらう日でした。昼食を一緒にとってもらいましたが、そのあとでしばらく海詩(ミーシャ)と付き合ってもらえたのです。 海詩(ミーシャ)は後藤さんに、「水槽のキンギョに触ってみたい」と願い出たそうです。きっと私なら「ダメ」と反応し、「どうして」と問い返されても「ダメなものはダメだよ」「分かった」といって片付けていたかもしれません。戦時中に仕込まれたやり方の受け売りです。 後藤さんは、キンギョを「弱らせるかも知れない」と教えた上で、許可したようです。海詩(ミーシャ)は少し考え込んだそうです。そして「やめておく」と応え、私に「聞き分けの良い子ですね」と後藤さんに言わせています。この躾方は母親のみかとそっくりです。それはNZでは当たり前の躾方、つまり自分の頭で考えさせる躾方、といってもよいのかもしれません。要は、子どもたちが未来を自らの手で切り開くうえで必要と思われる力を、つまり自分の頭で考え、創意工夫する力を授けようとしているのではないでしょうか。 「ダメなものはダメ」との戦時中の教え方は、あるべき姿を教え込もうとするやり方といってよいのかもしれません。しかしそれは、親の世代の都合に従わせたり、親世代がつくったレールにうまく乗せさせたりしようとする教え方、といってよいのではないでしょうか。そしてこれに異論を持とうものなら「うるさいヤツ」と思われかねなかった。 それが女性なら「女だてらに」とか、そこに疑問などを挟もうものなら「怖い女」にされかねなかった。男であっても「傲慢だ」と思われかねませんでした。 「もったいない」という言葉がNZにあるのかないのか知りませんが、NZの人の考え方は「もったいない」の心そのものです。ですから,今の国の形ができたのでしょう。つまり、自動車やテレビなどは輸入して大事に使い、農畜産業を大切にする国の形です。 つまり、工業化を進めると、残業や単身赴任を増やし、家族一緒に食事をする機会を減らしてしまいます。その上に、肝心の空気や水を汚してしまいかねない。美しい水や空気など豊かな自然さえ残しておけば、そして自分の頭で創意工夫する力を授けておけば、おのずと子どもたちは、自分たちの力で未来に立ち向か希望を抱くにちがいない、という考え方と思われます。ですから、取ってつけたように聞こえるかも知れませんが、焚き火を規制しようとする意識など湧こうはずがありません。 この考え方で、より豊かでより幸せになろうとすると、自ずと守らなければならない約束事が増えてしまうことでしょう。そうした約束事を、NZでは入植した白人には白人がより厳しく科させています。たとえば、魚釣りをしても、より厳しい制限を入植者に果たさせ、先住者には寛大です。なぜなら、先住者は土地がらという自然の摂理により精通しており、その文化をわきまえているからです。それが、植民地国家として最もうまくいっている国との評価を得させているのではないでしょうか。 なお、NZでは原子力発電には手を出していません。日本の技術を活かして地熱発電に力を入れています。 |
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ヘチマの垢すりの作り方をヒント |
持てる利点をいつまでも活かし続けられるはずです |
クズをきれいに拾ってみせました |
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