太平洋戦争を振り返りました
 

 先週の土曜日は、こうして1日は終わり、後片付けをしながら、戦時中に思いを馳せたわけです。

 それは、工業社会の延命策のような打開策では問題をより複雑にしてしまい、経済戦争でもババを掴み、太平洋戦争の二の舞になりかねない、と思ったからです。

 それはともかく、前者の男性は幸せもの、と思いました。太平洋戦争中に生きていたら、その考え方はひどい目に合わされていたことでしょう。神風特攻機や人間魚雷・回天などの打開策が考えだされ、その要員となって散花していたことでしょう。あるいは、平和になった後も、同じやり方をよしとする人に尊崇の対象にされ、新たな犠牲者の再生産に与さされていたかもしれません。

 もちろん、前者も幸せもの、と思いました。太平洋戦争中なら、この考え方もひどい目に合わされたことでしょう。「気合が入っていない」と怒鳴られるだけならまだしも、前者には国賊や非国民扱いされ、特高警察には「過激派」と見られ、場合によっては拷問死させられていたかもしれないからです。

 こうした妄想に駆られたのは、今週、真剣に読み終えた一書が関係していたように思います。太平洋戦争中に日本は1000万人以上の中国人を殺していますが、最後の一年を除き、毒ガスを多用していたようで、その多くを毒ガスで苦しめていたわけです。