ある想いを込めて
 

 なぜ妻は、私の「でにむどす」製の着物を着こなして参加したくなったのか。それは、過日「でにむどす」の売り場だ、と見紛ったことが引き金になっています。大丸京都店で開かせてもらった個展の折に、美術画廊からほど近い売り場でデニム生地でつくられた着物が売られており、それが弓月の「でにむどす」ではないと知ったのがきっかけです。弓月の10周年記念式典に、是非とも妻は「でにむどす」の着物を着てゆきたい、と強く思ったそうです。残念ながらわが家には女物はありませんでした。

 そこで妻は、私の男物を活かすことにしました。着こなし方はもとより、帯、履物、あるいはカバンはどうするか、と考えたようです。なにせ、白髪の高齢女性です。

 ジーンズの普及に、私はなみなみならぬ感心や情熱を傾けてきました。その節目節目で、様々な意見を妻に語って来ました。性差、年齢差、所得や地位の差はもとより、出自や学歴などあらゆる差を超えた服飾が世の中にあっていいのではないか、と私は語ってきました。もちろん、だから逆に、性差を顕にする服飾もあっていいわけですが、それはプライベートな時空で楽しめば良い次代を想像したことさえ私にはあります。

 そのようなことも少しは関係したのかも知れませんが、男物サイズの「でにむどす」の着物を妻は妻なりに着込んだわけですが、どうしても気に入ったカバンの持ち合わせがありませんでした。気に入ったものを探しにゆく時間的ゆとりもない。そこで、妻は人形作りの要領で、ありあわせの材料に居場所を与えることにしたわけです。

 こうして出来上がったカバンの存在意義が、この時限りで終わるのか否か、興味津々です。同時に、このカバンをどの様に活かしたのか、それにも興味を抱いています。プロカメラマンに写真ととってもらったそうですから、いずれ見せてくれるでしょう。