良い本
 

 少なくともわが国の原発は「非科学的産物の典型例」だ、と訴えているかのような内容です。そして、総理大臣としての責任で、わが国から原発をなくし、国民を守りたかった、とるる現実を紹介しながら、訴えています。

 この本『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』によれば、1999年に「原子力災害対策特別措置法」が制定されていますが、それは、同年9月に茨城県の東海村JCOで臨界事故が発生し、二人が死亡したのがきっかけだ、とあります。

 東海村で商業用原子炉が営業開始したのは1966年ですから、33年間にわたって原子力災害に対処する法律をわが国は用意していなかった。つまり、根拠のない安全神話を吹聴し、好き放題電気を使う国民にしたてあげ、独占企業と取り巻きの利益を上げることに狂奔し、国民を実に危険な立場に晒させていたことになります。

 その間の1974年に、原子力船「むつ」で放射線漏れ事件が生じており、4年後の1978年に「原子力委員会」から「原子力安全委員会」を分離させ、設置している。わが国はそれまでに、原子力事故を収束させる国家としての専門組織を1つもつくっていなかったわけです。そして、「原子力安全委員会」はその後、1999年に「原子力災害対策特別措置法」が制定されるまでの21年もの間にわたって、国民を守るために何をしていたのか、何を考えていたのか、との疑問が残りました。議事録は残しているのでしょうか。

 つまり、「想定外」という言葉はあらかじめ用意された言葉であったようだ、と感じたわけです。要は、想定して法律を作れば責任の所在が明らかになりかねません。だからわが身に何らかのかたちで責任が及ばないように、原発に関する危険なことは想定しておかないほうが得策、との意識が働いていた、と行間に読みました。なにせ、大勢のそうそうたる委員が、「原発ムラ」にたかっていたわけですから。もし、そう考えていなかったとしたら、とうてい科学的な頭であったとは言えないでしょう。

 「原子力委員会」や「原子力安全委員会」をはじめ原発がらみの委員会などに加担する人がやたら多い。中には勲章をもらった人もいるのではないでしょうか。そうした委員に支払われた金などは何を願った支払いだったのか、との疑問も残りました。

 この不作為を防ぐ策はなかったのか。せめて、想定外と言いだす事故が生じた時は、大勢のそうそうたる委員がそれまでに取得し、ポケットにねじ込んだ金は、不作為の罪(Sin)をつぐなう意味で、返金させる、と決めておくべきでなかったか。そうしておれば、国民の利益を考える方向に頭を活かせてもらえたのではないでしょうか。

 少なくとも、せめて311原発事故の保障問題が直接的被災者が得心するかたちで解消されるまでは、原発の再稼働は控えるべきです。もちろん、国民はそのために節電に努めるべきです。さもないと、311の直接的被災者に対してとても失礼なことになりかねません。公害でのNIMBY問題のごとくに、国民感情を分断しかねない、と心配です。

 それにしても、私たち日本の国民はのんきです。ドイツ政府は、311原発事故を知って直ちに原発と決別することを決めましたが、それは国民をなめてかかれない、との意識がそうさせたのではないか。たとえば、「脱原発社会は自分たちの手で」などのドイツ国民の考え方の影響ではないでしょうか。アメリカにもSMUDというよく似た事例があり、かつて当週期で紹介したことがあります。

 例えは穏当ではありませんが、このままでは太平洋戦争の二の舞を演じかねません。たとえば、「東京裁判」では731部隊問題や従軍慰安婦問題などを取り上げていません。それが、いまや未来世代に深刻な禍根を国際間で残しかねない事態になっています。311原発事故は、同様の深刻な禍根を国内問題として、未来世代に残しかねなく思われます。