真の大人
 

 若者の潜在能力を引き出すことが大人の真の役割ではないか、と思うようになっています。過日、今関ご夫妻を迎えましたが、「天」とは何か、も話題になりました。

 そこで私は、白川先生には叱られそうですが、「人、大、そして天」について勝手な意見を述べました。人が大きく両手を広げたように、大きくなった人を「大」と考え、その大きくなった人が、つまり大人が大勢集まった状態、つまり万民を「天」と考えてはどうか。との意見です。その時に私は、ならば「大人」の役目とは何か、と考えていました。

 NZでは原発を採用せず、日本の技術で地熱発電を大々的に進めています。自動車や弱電などの産業は導入せず、農畜産業を重視しています。そして、消費を控え、産業廃棄物やゴミをなるべく出さないようにしています。つまり、綺麗な空気、水、あるいは土など豊かな自然を残すようにすれば、子どもたちが希望を抱き、勇気を振るうであろうと期待しているわけです。と同時に、子どもの教育に努めています。

 その教育は、知識の詰め込みではなく、自分の頭で考える力、持って生まれているであろう潜在能力、あるいは怖じけずに挑戦する勇気などを引き出そうとする方向に力を入れています。それが大人の役目だと思っているようです。つまり「Education」を字義通りに展開しているわけです。Educationとは「引き出す」という意味です。

 この意味で、京都の大学生を中心とした若者が、自主的に「未来EXPO」を構想したことは素晴らしいことだと思います。大勢の人が、声援を送りましたが、その1人、東邦レオの橘社長に私は注目しました。若者との対談するかたちで登壇されましたが、「大人の姿勢や態度」を感じさせられました。

 余談ですが、多くの若者は緊張していました。手落ちも多々ありました。ですからスピーチのために駆けつけた人のなかには、学生に対して「失礼ではないか」と叱責した人もいました。しかし、橘社長は堂々としていた。

 若者の「目指すところやよし」、その「姿勢や態度もよし」、ならばこの若者が燃やし始めた情熱を「なんとか盛り立ててやろう」といった大人の想いを感じさせられました。その心境を、協賛を求めに行った若者との交渉などを事例に引き、説明しました。これから社会に出ようとしている若者には、とても勇気を与えたことでしょう。

 余談を重ねますが、私のケースで言えば、学生の緊張した態度や姿勢と書生にすくわれ、提言をそれなりに訴えられたように思います。90分で心積もりしていたスピーチに25分しか与えられないことを知り、秘策を練りましたが、功を奏したわけです。パソコンを駆使し、若者の敏感な感受性に訴える方式です。

 実は、にも関わらずといってよいでしょう。自分でパソコン操作が出来ないことがわかったのです。学生は、さまざまな努力をしてくれましたがダメでした。そこで、いちばん叱りやすい書生を急遽助手に立て、20分で終えるスピーチに縮めることにしました。書生は、なんとも見事に期待に応え、後刻「20分45秒でした」と教えてくれました。

 門川市長は、ドイツのメルケル首相のことばを紹介しました。京都に見えた時に、Kyotoを動詞として用いた「Do You Kyoto?」です。私はわが国が目指すべき方向を提案しました。そして、「Yes I Kyoto」と応えようと提案しました。

 もし日本が、今後世界から尊敬されながら繁栄しようとすれば、これしかあるまいと思っている提案です。それは安倍総裁が今、その頭に描いているであろう構想、つまり工業社会を前提にして、その延長線上にあり、若者を戦場にも狩り (駆り) 出しねない構想(と私は見ていますが)とは180度異なっています。


 

東邦レオの橘社長