文化勲章授受
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iPSで山中教授がノーベル賞を受賞したニュースを、私はアイトワ塾のBBQの最中に、埼玉の親友から電話で知らされました。直ちに参加者に伝え、拍手喝采となりました。しかし、その後、文化勲章の授受となり「待てよ」と思いました。仮に、文明勲章が日本にあって、その受賞であれば、再び拍手喝采していたでしょう。 ノーベル賞は、ダイナマイトの発明で得た巨万の富が基金であり、まさに世界最高の文明賞でしょう。ノーベルは破壊力に飛んだダイナマイトの発明で、国家間で争いがちであった戦争を抑止し、人類平和に貢献するであろうと期待した、と聞いています。その後は、より悲惨な戦争への道に人類を誘っています。 わが国は、世界最高の文明賞・ノーベル賞を受賞した人に、後出しジャンケンのように文化勲章を出そうとする傾向があり、受け取られたり、断られたりしています。断った人の中には、文明の利器である原子力を忌避しており、私の目には筋が通っているように見えます。逆に、後出しジャンケンの勲章を、聡明な山中教授は胸につけ、ノーベル賞の授賞式に望みました。日本人として溜飲を下げましたが、一抹の不安が残りました。 iPSも文明の利器として多くのヒトに夢を与えており、誠に喜ばしいことだと思っています。しかし、ダイナマイトや原子力利用の実用化と同様に、手放しで喜んでいいのか、と問われたら、否と応えざるを得ません。自然の摂理に反しているように思われてならないからです。つまり、他の多くの文明の利器と同様に、たとえば環境問題などを生じさせたように、より問題を複雑にして先送りさせ、未来世代に負の遺産として抱え込ませるのではないでしょうか。この答えが出る前に、文明勲章ではなく、文化勲章を出して問題はないのでしょうか。 文化とは、持続性ある生き方を前提にしており、つまり未来世代とも共感しあえることが前提であるように思われます。 |