予期せぬ贈りもの
|
予期せぬ贈りものは、その昔に顧問をさせてもらっていた企業の今は会長夫人から郵送された「折り紙のヘビ」に始まりました。次いで「睨み鯛」を持参してもらったかと思うと、大垣の友人から「味噌煮込みうどん」の宅急便です。かくして、夕食に「味噌煮込みうどん」を所望し、昼の「鍋焼きうどん」、そして除夜の鐘に耳を傾けながら食した年越しの「にしんそば」と、好物を満喫した大晦日になりました。 元日はもっと意外でした。まず、今は亡き先輩夫人から、妻の励みにもなった近況紹介が載った冊子が郵送されたのです。その近況報告を、妻と競うようにして読んでいると、宅急便が届きました。昨年、私が縄のない方を伝授した女性経営者から、「古代米を育てた」といって、そのイネでこしらえたリースが、同時に2年ほど前にわが家を訪ねた青年から、東日本での活動ぶりを紹介するコメが、送られてきたのです。 先輩夫人に電話をすると、「いま『次の生き方』を読んでいたところヨ」との返事でした。明るい声です。かつて「余命1年」と医者から宣告され、ひどいヘルペスで七転八倒し、体の右半分が不随になった人とは思われない声でした。「また香川に来てください」と誘われました。妻は、まだヘルペスの跡が残っていた時にも会っています。ですから「白崎さんは、お会いするたびに綺麗になる人ネ」と感心です。 「折り紙のヘビ」と「古代米のワラ製リース」は、妻が喫茶店に飾りました。「東日本のコメ」は3日の夕飯で味わいました。「睨み鯛」は、3ケ日が明けた4日の夕飯で味わいました。味わいながら、「今年はなんとしてもお目にかかりたい人が多いね」と、四国とか九州など遠方に住まう友人への思いを妻とはせました。 身勝手な言い分に聞こえそうですが、私たち夫婦が憧れる人は、不思議とわが拙著を愛読してくださっています。それはどうしてか、と考えました。このたびの年賀状でも、数名の人から、農作業が出来る土地を手に入れた、手に入れていた土地に手を付ける、あるいは今年こそ見つけ出す、などと知らせてもらいました。 もちろん、気に入ってもらえない人のほうがはるかに多い。「私には土地がありません」とか、中には私の説得を「自慢話を聞かされた」などと耳をそらそうとする人さえあります。それはどうしてか、この差はなぜ生しるのか、と考えました。 おぼろげながらに、その差の謎の半分が、このたび、溶けたような気分にされました。それは、私たちが憧れている人たちの共通点です。残る半分は、わかりません。それは多用な理由や原因などがともなっていることでしょう。 その共通点とは何か。「自力本願」ではないか。不幸に直面しても不幸と思わず、貧しい境遇に追い込まれても恥じず、不幸や貧しさの原因や理由を他に求めない。逆に、幸運や思わぬ大金に恵まれても有頂天にならず、奢らない。こうした人に私たち夫婦は憧れていました。そうした人になりたいと願い、真似ようとしてきました。私にとって、それは5歳の時の「七変人」 (七変人2)との出会いに始まっていたことになります。 |