NZでの思い出
 

 寝たきりのケンの世話が不要であれば、NZを訪れようとしていました。ならば今年は「丁度今頃に」と思いました。同時に、どしてNZに「こうも心惹かれるのだろうか」とも考えました。そして「きっとそれは」と、思い当たるフシにたどり着きました。それは、NZの人たちが生きる絶対条件を大切にしていると思われるからです。

 以前にも触れましたが、NZの人たち(国)は自動車や弱電などの工場を造ろうとしていません。それは残業や単身赴任を強要し、家族揃って食事をする機会を減らしかねない、という人がいます。もっと多くの人は、それは空気や水まで汚しかねない、といいます。自動車や弱電などの製品は輸入して大事に使い、農業や牧畜を優先します。つまり、空気や水など美しい自然を大切にして残しておけば、子どもたちは夢や希望を自由に描けるであろう、との考えか方です。ですから、原子力発電を採用せず、日本の技術で地熱発電開発を優先するなど、自然エネルギーに頼ろうとします。

 安倍政権は、NZとはまったく逆の方針を打ち出し,大勝したわけです。つまり、自動車や弱電などの輸出型装置産業にくみするかのように、円安とインフレを標榜し、それを持って経済成長率の浮揚を標榜しました。それは皮肉なことに、間違いなく見かけの豊かさを示すGDPを浮揚させそうです。しかし庶民の生活をとても窮地に追いやりかねません。

 なぜなら、円安は輸入に不利に働きます。高く買わされる計算になります。庶民には一番こたえる、つまり切り詰めにくい食料やエネルギーが飛躍的に高くなるでしょう。なにせGDPの多くの部分は消費輸出が占めていますから、食料やエネルギーなど削り難いものを高くすれば確実にGDPを増やせます。また、政府とすれば、たとえばエネルギーで庶民の不満が高まれば原発の再稼働に結びつけるなど、庶民を手玉に取りやすくなります。

 要は、わが国は「あればあるに越したことがない自動車や弱電などで稼いだ金で、一時も欠かせない食料やエネルギーを輸入にたよっています」。つまり、生きる上で絶対的価値のある物品を輸入に頼り、その輸入代金を相対的価値を競う物品の輸出代金で稼ぐ構造です。それは、政府にとってはすこぶる好都合にはたらく構造です。

 そのために、電力エネルギーについては九電力に分割独占させるなど、庶民の首根っこを押さえよくしています。これから深刻な問題になる食料問題についても、自民党は政権党時代に、農業の株式会社化もすすめてきました。そして今、軍備を増強しかねない方向を標榜しています。これも庶民の首根っこを押さえやすくするでしょう。

 余談ですが、アメリカでは銃規制問題がまたぞろ浮上していますが、おそらく国民は規制を許さないでしょう。規制されれば、国家の横暴に国民は航し難くなるからです。民主主義の根幹として、憲法で国民の銃の保持を許してきたのに、そうたやすく国民は手放さないでしょう。国家を守るのは国民です。ですから、永世中立を標榜する平和な国であるスイスでは、国民の銃保有率を非常に高くさせているのでしょう。