相対と絶対
 

 ケンは一段と気力を失ったようで、あれほど好んだ散歩をしたがらなくなりました。ブラブラと出歩く好奇心までなくしたようで、ひたすらケン特性のねぐらの中で、毛布にくるまり続けようとします。いまだに衰えていないことは、食っちゃ寝るだけ、といった安楽を求め始めるところで、ついでにオシメを手放せなくなっています。

 ですから、気ままこの上ない。食いしん坊なのに、「ドッグフードではあまり食べなくなったの」と妻に言わせ、好物の「焼き芋ならガツついています」とのこと。夜鳴きも大変です。野中の一軒家のような環境で良かった。この鳴き声に妻は耳聡いので、私は小用でドアーを開ける折など、目覚めさせないように気にする日々です。

 昼間に、静かにいびきさえ立てているケンを見て、気付かされた「自業自得の問題」があります。案の定、妻は、ケンの特性ねぐらを温めるアンカの電気を、昼間も切らずに、つけっぱなしにしていたのです。

 そこで「相対と絶対」の問題を持ち出して、妻を叱りました。もちろん妻そのものを叱ったのではなく、文明が用意した「落とし穴」にハマっている部分を叱ったつもりです。しかし、その分別が妻にはできにくいようで、自分を否定されたかのように感じたのか、「暖かくしてやってどこが悪いのですか」とばかりに膨れ、議論を深めさせてくれず、反省する好機を自ら失ってしまいます。

 文明の犯罪性の1つは、人間を「相対の世界」に引きずり込んだことだと思っています。たとえば、より大きなダイヤモンド、より高価な衣服などの消費財、あるいはより希少な珍味などに憧れさせたことです。つまり「上には上」「下には下」がある話に躍起にさせ、競わせ、肝心の「絶対の世界」から遠ざけてきたことだと私は見ています。

 「昼間に暖めたりするからグウグウ寝るだけでなく、それに慣れてしまって夜の寒さが辛くなり、夜鳴きするんだ」。それでは「いじめているのと同じだ」と注意したわけです。