喧々諤々になった
 

 それぞれの国に精通した男が口角を泡にして、精通した国々のお国自慢をする姿は、ほほえましく思われました。猜疑心と好戦的思考では、真の平和と繁栄は望めない、と私は信じています。また、そうして時代ではなくなったと居ています。

 つくずく私ま、駐在体験をしておけばよかったなあ、と考えました。そして、さまざまな国を深く理解し、Nation的な発想の域を卒業し、使命のつながりを尊重するState的な発想を加味し、お互いの個性と得手を尊重できる自信を身につけたかった。

 自慢話は、ブータン国王夫妻の来日は新婚旅行であり、311の被災者に100万ドルもの義捐金を贈った、から始まりました。ブータンのGDPでいえば大金です。次いですかさず台湾通が口を切り、台湾の義捐金は200億円だが、内3億円が政府支出で、残る197億円は民間人の寄付金だった、と自慢げでした。私はトルコの親日的なありようを見てきたままに話すのがせいぜいでした。

 冒頭のスピーチで、私は3つの話題をとりあげました。水産学部を志望した若者が、近畿大学の受験に失敗し、第二志望の鹿児島大学に来ていたこと。学校で選ぶのではなく、学部の名声で選んだわけですが、やがては「この人に学びたい」との時代になるでしょう。

 鹿児島大学には学年・学部を超えて受講できる「稲盛アカデミー」がありますが、高く評価すべきだと紹介しました。そして、話題を「京都賞」に転じましたが、誰一人としてその名を知りません。〈伊藤忠の元会長〉「瀬島龍三がかかわっていたのに」と、残念でした。そこで、持論の展開です。文明が生んだノーベル賞の後追いではなく、ポスト工業社会にふさわしい国際賞にしては、とのアイデアです。たとえて言えば、「ノーベル賞はDDTを発明した人に贈られたが、『京都賞』はDDTの弊害を世界に気づかせたレイチェル・カーソンに贈る」。そして名称を「稲盛賞」にする、とのアイデアです。

 ノーベル賞は人類の平和と繁栄に貢献していますが、「稲盛賞」は生きとし生けるものの平和と繁栄に貢献する国際賞にしてはどうでししょうか。それが、憲法9条を持つ我が国の使命ではないでしょうか。

 最後に、沖永良部島は「まるで日本の縮図だ」と訴えました。目先の現金収入に狂奔し、生きる基盤を台無しにしている、ことを嘆いたわけです。

 「分かち合えば余る。奪い合えば足らない」と、発言した男がいました。誰かが「周恩来」、との声をあげました。もしそうだとすると、日本はとても恥ずかしいことをしでかしたようだ、と思いました。私たちは、石原慎太郎のとても下劣で下等な政治手法に、つまり人々の心を偏狭にして血を頭にのぼらせ、人気を得ようとする古典的な政治手法に、つまり(地球益を考えるべき時代に)慎むべき政治手法にまんまと載せられようです。

 ちなみに、この話題は、帰宅してから持ち出していますが、「それは、ガンジーの言葉ではありませんか」と書生から注意されました。まだ確かめていません。

 話を戻し、宴たけなわのことです。夫婦のあるべき姿も話題になりました。酩酊した頭に残った確かな記憶は、「勝つな、勝てない、勝とうとするな」との名言でした。

 商社勤めは平均寿命をかなり短かくするようです。一人、また一人と仲間が欠けてゆきます。思えば、月100時間余の残業などはざらでした。そこで、誰かの提案で、今回は故人の仲間に黙祷をささげよう、と起立しました。