書斎にこもり
 

 黒人大統領を再選したアメリカや、女性大統領を生んだ韓国のありように深く興味を抱きながら、パラパラとめくっていた少冊子で、まず川端康成の旅行に案内役として行動を共にした人の証言が目に留まりました。日本で最初にノーベル文学賞をもらう人は三島由紀夫をおいて「他には考えられない」と思っていた。武者小路実篤は、宮崎の小丸川上流域に「新しき村」をつくっていますが、それを偽善行為、と思っていた。そして作家の自殺について、自殺はいけない。人間の道に背いている。「人間は、自然の姿で死ぬのが一番美しい」と語っていた。これらの証言を知ることによって、川端康成への理解を格段に深めてもらえたように思いました。

 「ルックイースト」、つまり欧米ではなく日本に学ぼう、と叫んだマエーシア元首相が、日本の過ちを教訓として学び直している、ことも知りました。独自の文化をすっかり忘れて、欧米の文明に翻弄されてしまった失敗に学び直そうとしている、ようです。

 「今日の我が国の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれています」との言葉が、戦没者慰霊祭で今も語られている、と知って驚きました。にもかかわらず、戦争による銃後の(爆撃による)被災者にはいまだに何らの保障もされていません。いわんや戦争に異を唱えた人たちを「過激派と見て虐殺してきた」のに、反省の表明がありません。要は戦争を美化する好戦的思考が続いています。

 むしろ、「今日の我が国の平和と繁栄は、残業に次ぐ残業に耐えた高度経済時代の勤労者や、昨今のリストラなど人員削減策に諾々と応じた勤労者の尊い犠牲の上に築かれています」と語ったほうが、これからの繁栄に寄与するのではないでしょうか。なぜなら、さもなくば、「今日の我が国の平和と繁栄は、チッソ水俣事件やカネミ油症事件などで、心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれています」と語らないといけない、とこのたびの原発事件を通して多くの人が気づき始めているように思われるからです。要は、真の愛国者を増やさないと、これからの繁栄や平和は望むべくもない、との心配です。

 国家予算の半分を、未来世代に「負の遺産」として背負わせるような政策でごまかし、その付けの責任を他に求め、またぞろ好戦的なアジテートでこの国を惑わせていいものでしょうか。心配です。